夢で逢えたら 34
航と春海、ふたりを乗せた観覧車は少しずつ上昇していった。
すぐ下のコスモワールドの乗り物がとても小さく見える。
ふたりが並んで座ったので、まず見える方向は海とは逆の方向だった。
すぐ近くに日本丸が小さく模型のように見える。
さっきまでわりと気軽い感じで話していたのに、並んで座ったとたん、ふたりとも急に黙り込んでしまった。
どちらからともなく緊張がふたりを包んでいるようだった。
先に沈黙を破ったのは航だった。
自分の左側に、猛烈に春海の存在を意識しながら、航は座っている位置の後ろ側…海の方を振り返った。
隣の春海側から振り返って見るのが自然なのに、意識しすぎたせいか、逆の右側から後ろを振り返ってみたせいで航の姿勢はとても不自然だった。
「ほら、春海さん。さっきまでいた赤レンガ倉庫や大桟橋まで見えますよ」
「本当だわ。小さくっておもちゃみたい…」
春海も同じように姿勢を変えて、振り返って海を眺めている。
が、ふと視線を航の左側の横顔にむけて、小さく呟いた。
「…どこか遠くにいきたいな…」
「えっ!?」
春海のつぶやきは小さかったけれど、航の耳元で囁いたような感じになってしまっていたので、航は思わず振り返って春海の顔を見つめてしまった。
春海の瞳は遠くのどこかを見ているようでもあり、航の胸のうちを見つめているようにも…航には感じられた。
なんて淋しげな瞳をしているんだろう…
もしかしたらこの観覧車にも、春海には幸司との忘れられない思い出があるのかもしれない…。
なぜだか、航にはそんなふうに思えてきて、この前の、航の顔を見て突然泣き出した春海の顔が思い浮かんできた。
春海のことが、とても頼りなげな幼い少女のように思えて、航は思わず春海を抱きしめたい衝動にかられた。
春海の…航の口元あたりに向けていた視線が、ふっと航の視線を捉えたとき、航は思わず左腕をそっと春海の細い肩にまわした。
「…肩、抱いてもいいかな?」
コクン、と春海が頷くのを感じて、航はそっと優しく春海の肩を抱き寄せた。
「…遠くに…行きたいの?」
「……」
航の腕の中で、春海が小さく震えている。
そんなふうに感じながら、航は次にかける言葉を探していた。
「…少し疲れちゃった」
「力を抜いて…僕に寄りかかっていいょ」
「ごめんね…。やさしいのね…」
「そんなふうに気にしないで…」
「…なんだか、航さんといると、肩に入ってた力が抜けて…自然な自分に帰ったような気がしてるの…」
それは航にとっても、同じように感じていた。
初めて春海と言葉を交わした時から感じていたことだった。
航はしばらくそうして、春海の次の言葉を待っていたけれど、それきり春海はまた黙り込んでしまった。
航の左の頬にあたる春海の柔らかい髪の毛が、春海が少し身動きするたびに航の頬をくすぐるように揺れていた。
観覧車のゴンドラの中は静寂に包まれて、互いの鼓動さえも聴こえてきそうだ。
航がふっと顔を動かしたのと、春海が航の顔を見上げるように視線をあげたのがほとんど同時だった。
航の視線を捉えて、春海がそっと瞳を閉じる。
その唇に航がそっとくちづけをした時…ふたりを乗せたゴンドラは、観覧車のいちばん高いところにきていた。
“観覧車のいちばん高いところでkissした恋人同士は、必ず幸せになれるんだって!”
不意に航はかつて深雪が言っていた言葉を思い出した。
深雪とは何度か一緒に観覧車に乗ったけれど、他の人と一緒だったりして、観覧車のてっぺんでkissしたことはなかった。
そう言って、いたずらっぽく笑った深雪の笑顔と、航の腕の中で今恥ずかしそうな表情を見せている春海の横顔が、航には同じように見えた。
「…あっ」
春海の小さく漏らした声に、航が春海の視線の方向をたどると、目の前に見えるランドマークタワーが茜色の光に照らされていた。
「魔法をかけたみたい…」
本当に春海の言うとおりだ、と航は思い、抱き寄せた春海の肩をもう一度強く抱きしめた。
ゴンドラが下に着くまでふたりともただ黙ってそうしていた。
自分よりずっと年下の航にいつの間にか心惹かれていたことが、春海には不思議だった。
航は若い。けれど、春海をすっぽりと優しく包み込むような…安心感を抱かせてくれる。
まさかこうして航とkissしてしまうような事態になるとは思ってもいなかった。
けれどそれは、無意識のうちに春海自身が望んでいたことだったのかもしれない。
それとも、夕焼けの観覧車なんていうロマンチックなシチュエーションに、そんな気になってしまっただけなのかもしれない。
春海はそう思って小さく吐息を吐いた。
観覧車から降りると、春海はさっきまでの緊張感が無かったかのような笑顔で航に話しかけてきた。
「航さん、“雪の華”って曲知ってる?」
「中島美嘉ですよね?いい曲ですよね」
「うん。中島美嘉の“雪の華”もいいけど…ちょっと前…7月にね、徳永英明がカバーしてCDを出したの」
「へぇ~…それはまだ聴いたことがないな。でも、男性の気持ちを歌った曲だから、いいかもしれないですね」
徳永英明は深雪が好きだったので、航もよく通勤の車の中などで聴いていた。
が、深雪が逝ってからはあまり聴くこともなくなっていた。
「春海さん、徳永英明好きなんですか?」
「えぇ。特にこの曲を聴いてからは、やっぱりいいなぁ~って思って。でね、先月…8月末にこの曲も入ったアルバムを出したのよ。前にも同じように出してるんだけど、女性ボーカルの曲ばかりをカバーしたアルバムなの」
そう言うと春海は少しいたずらっぽい表情になって
「でね、今日持ってきてるの。航さんの車でかけてくれると嬉しいんだけど」
「いいですょ。僕も聴いてみたいし…。少し曲を聴きながら、ドライブしましょうか?」
やがて静かな車内に“雪の華”のメロディーが流れてきた…。
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