恋愛小説の部屋*青い鳥のいる部屋

青い鳥のいる部屋 1

絶対に君を探し出してみせるよ。

何百も何万も…何億の人がいても、僕は必ず君を見つけ出すよ。






     1.  美鳥



生まれる前の記憶なんて、本当に覚えているはずはない。

だけど、子供の頃から繰り返し見る夢がある。

夢の中で“彼”はいつも優しい笑顔で言う。

絶対に君を探し出してみせるよ。

何百も何万も…何億の人がいても、僕は必ず君を見つけ出すよ。と…。



この夢の話をすると、大抵の友達は

「美鳥は本当にロマンチストなんだから…」

と言って笑う。


「もうそんな白馬に乗った王子さまを、夢見る歳じゃないでしょう?」

「前のダンナは夢の人じゃなかったんだね」

確かに私はもう30代も後半のバツイチだけど、そんな風にからかったりしないでほしい。

別れたダンナとは、短大に入ってすぐに始めた喫茶店のバイトで知り合った。

初めてのバイトで緊張しまくっていた私に、優しく仕事の手順やら何やらを、教えてくれた先輩アルバイトだったのだ。

彼…隆は3つ年上で、とっても優しかった。

それで、私は隆の好意を恋だと勘違いしてしまったのだ。

知り合って6年間、私は隆とちゃんと付き合っているつもりでいたし、隆も私のことを好いていてくれたと思う。

でも、それがただの好意以上のものではないなんて、その時には思いもしなかったし、隆自身も勘違いをしていたのかもしれない。


6年後の私が24才、隆が27才の時にふたりは結婚した。

ふたりっきりで北海道の小さな教会で。


あの頃は、幸せになれるって信じていた。

隆が“夢の人”だって信じて疑わなかった。

私が“夢の人”の話をすると、隆も

「それ、俺だわ」

なんて言ってくれていた。


でも、幸せな時間は…一年ももたなかった。


隆はある意味、いい人すぎたのだ。

私にとってだけでなく、いろんな人に対して。そして、隆自身もいい人でいることに馴れすぎていた。

ことの起こりは、隆が友達からお金を借りていた、そのことを私に隠していたことだ。

ふたりの共通の友達、Aさんに聞いて初めて知った時には、信じられなかった。

「美鳥ちゃんから、隆に言ってくれないかなぁ。貸すのはかまわないけど、いつ返してくれるのか…はっきり教えてくれって」

隆はAさんから10万円を借りていた。

びっくりした私が、隆に問い質すと

「悪いけど、美鳥が立替えて返しておいてくれるかなぁ。今月、金ないんだよね」

「それはいいけど。でも、10万円もいったい何に使ったの?」

「何って…いろいろだよ。悪いな」


私たちは、共働きだった。子供ができるまでは仕事は辞めずに続けようと思っていたから。

だから、借りていたお金を私が返すことには、さほど抵抗はなかった。けれど、借りたお金を何に使ったのか、はっきりと教えてくれない隆に、私は少しだけ違和感を感じていた。

けれど、その違和感もすぐに忘れてしまった。

隆は大学時代の仲間や会社の後輩をとても大切にしていた。何かと相談に乗ったり、後輩を食事に連れ出したりしていた。

家に友達や後輩を連れてくることも、月に何回かあった。

後輩たちからも頼りにされているらしく、それが私は誇らしく嬉しかった。


ある日、仕事が終わって家に帰ると、ドアにメモが挟まっていた。

それは大家さんからで『先月と今月分の家賃が未納です。取りに伺いますので都合のいい日を教えて下さい』と、書かれていた。


「それで、美鳥が払ったの?」

短大からの親友の薫が呆れた顔で言う。

「うん…」

「だって、家賃ちゃんと銀行に入れておいたんでしょ?」

「うん…。本当は家賃は隆が入れてくれることになってるんだけど…。3日前にみたら入ってなかったから、前日に急いで入れておいたんだけど…」

「それがなんで落ちなかったのよ?銀行で調べてもらった?」

「・・・」

私は途方にくれた顔をしていたのかもしれない。

「美鳥?…大丈夫?」

「…お金、入れた日に引き出されてた…」

「何それ!?」


結局、隆に聞いてもはっきりとした答えはもらえない。
ちょっとバツの悪そうな顔をして、今度ちゃんと話すから…と言うだけだ。

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青い鳥のいる部屋 2

そんなことが何回か続いた。


ふたりで話してどうしようもないのなら、隆の両親に話した方がいい。

薫にも何度も言われたけれど、私はなかなかふんぎりがつかなかった。

お金のこと以外の隆は、とても“いい人”だったから…。

でも…その頃には、私は隆を愛しているのか…隆が私を愛してくれているのか…わからなくなっていた。

隆が“夢の人”ではない、ということだけがはっきりとわかっていた。


5年たっても、私たちには子供が出来なかったから、いつしか会話さえも無くなっていった。

「美鳥、もっと自分を大切にしなきゃダメだよ!隆さんはきっと美鳥のことよりも、自分の友達や後輩たちの方が大事だよ」


30才の誕生日を前にして、隆との今後をどうしていきたいのか、やっと私は真剣に考え始めた。

そして、隆の両親にも今までのいきさつを話した。

私たちと隆の両親と…何度も何度も話をしたけれど、結局いつも隆の態度は同じだ。

いつもはっきりと言わない。曖昧にしようとする。

一度、お義父さんが隆に

「なんでお前は美鳥にはっきりと言わないんだ。夫婦だろうが」

と言ってくれて、やっとお金の使い道の一部を教えてくれたのだが、それは…

「金が必要で困っている友達に貸した」

というものだった。

私には、なんで隆が借りてまで友達に貸さなければいけないのか、わからない。

それも一度や二度ならともかく、何度も。

もう、この人には着いていけない。

私は隆がお金を借りていたことよりも、私に隠していた。話そうともしなかった、そのことが悲しかったのに…



そうして、私たちは10年間の夫婦生活に終わりを告げた。




離婚してみて改めて思ったのは、女が一人で生きていくのは、なかなかとても大変だ、ということだ。

もうけっして若くない、しかも手に職もない私みたいな女性が、自分一人生きていくためのお金を稼ぐというのだ。

幸い私は、仕事を辞めていなかったし、子供もいないから…本当に自分一人が生活できれば、それでよかったのだけど…


離婚してしばらくは、毎日を過ごして行くことだけで精一杯だった。毎日同じことの繰り返し。

休みの前の日には、たまに薫が遊びに来て、時間も気にせずに夜中までとりとめもない話に華を咲かせる。



3年もたって、独り暮らしにも慣れて来ると、何故か急に淋しくなった。

「誰もいない部屋に帰るのも、淋しいんだよね。…犬でも飼おうかなぁ。でも、今のアパートってペット禁止だし」

「何か美鳥がやりたいことってないの?好きなこととか、やってみたかったこととか」

「う~ん…好きなこと?本読んだり、映画見たり…?」

「美鳥って地味よねぇ…。そうだ、私と一緒にバレエやらない?」

薫は子供の頃からバレエを習っている。

「無理だよ…私、身体が硬いもの」

「ちゃんとしたバレエ教室じゃなくて、カルチャースクールならどう?大人になってから初めて習う人って結構いるみたいよ」


結局、薫にひっぱられて、私はB文化センターに見学に行くことになってしまった。


B文化センターは、私の住んでいる町からは、電車で小一時間ほどの市の中心部にある。

最近できたばかりの、まだ真新しいビルだ。

バレエの他にも、ヨガやジャズダンス・フラメンコなどのスポーツやダンス、書道や油絵・ビーズアクセサリー。

ゴスペルやギター・ウクレレなど…講座の種類は多岐にわたっている。

せっかく来たのだから、いろんな講座をぜひ見学していって下さい…というセンターの職員の勧めで、とりあえず、一日で見学できる講座をいくつか見てみることにした。


「何かやってみたいの見つかった?」

見学に付き合ってくれた薫が、いくつかの講座を見終わったところで聞いてきた。

「う~ん…なかなかピンとくるのがないな~」

今日、見学できる講座はあとひとつ。

『文章の書き方講座』

詩や小説などを書いて、講師の先生に見てもらい、月に一回くらいの割合で会員どうしお互いの書いたものを、感想など言い合うらしい。

「また、地味な講座ねぇ。でも、美鳥って文章書くの上手いよね。ポエムとかも書いてなかったっけ?」

「高校の頃ね」

確かに子供の頃から短大に入ったくらいまで、ノートに詩を書き綴ったりしていた。

でも、あとで自分で読み返したりするくらいで、他人に見せたことはない。

薫にうっかり見られたことがあるくらいだ。

「とりあえず、どんな感じか見てみないとね」

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青い鳥のいる部屋 3

後ろのドアからそっと教室に入ると、コの字形に配置された机の前に、数人の男女が適当な間隔で座っている。

教室の前の方にはホワイトボードがあって、その前に高校生くらいの女の子がいて、自作のポエムを読み上げていた。

 
窓際にひとり立っていた若い女性が、私たちに気がつくと軽く会釈をしてくれた。

センターの職員が、私たちのために壁際に椅子を用意してくれたので、薫とふたり 並んで腰掛ける。


女の子がポエムを読み終わると、部屋にいた人たちが、端から順番に感想を述べていく。

その間に、窓際に立っていた女性が私たちに数枚のプリントを渡してくれた。

そこには、今 女の子が読んだポエムや、短編の小説・エッセイ風なもの…などが印刷されている。

ひととおり部屋にいた人たちが、感想を述べると、先程の女性が私たちの方をみて

「どうですか?読んでみて。感想を聞かせていただけませんか?」

と言った。

「いぇ。私たち見学ですし…」

「気にしないでください。できるだけたくさんの方の感想を聞けた方が勉強になります。
かえってまだ菜穂ちゃんに先入観のない方の意見って貴重なんですよ」


私はもう一度プリントに目をおとす。

『あこがれ』と題されたポエムは、少女らしい言葉で、初恋の一日の出来事が綴られていた。

「…とても、初恋のときめきが伝わってきて…あの…いい感じだなと…あの…すみません。
上手く言えなくて…えっと…私の初恋の頃の気持ちを…思い出しました。あ…ごめんなさい。
…なに言ってるのかしら…」

私がオロオロしながらも感想を述べると

「ありがとうございます。ごめんなさいね。急にお願いしたりして…」

「いえ…」

この若い女性が、講座の講師らしい。

女の子の隣りに座っていた私たちくらいの年代の男性が、入れ替わりに立ち上がってホワイトボードの前に立った。


「どうする?もう少しみていく?」

「…うん…」

男性がよく通るいい声で、自作の詩を読んでいた。歌の歌詞のようだ。


また意見を求められる前に、私たちはそっと教室をあとにした。


結局、B文化センターの講座の中で、私はピラティスというヨガのようなストレッチのような…講座を受講することにした。

最近、あまり身体を動かしていなかったし、講座を見たときに受講生の年齢層も私と同じくらいの人が多く、のんびりと気長に続けられればいいかな、と思ったから。

ピラティスに通い始めて、同じ土曜日の似たような時間だったからか、『文章~』の講座の講師の由貴子先生とは、よく顔を合わせるようになった。

見学だけして、講座に入らなかったのに、まるで以前からの知り合いのように、気軽に声をかけてくださる。

実をいうと『文章~』の講座も、とても気になっていた。

薫が言ったように、もともと私は物を書くのが好きなんだ。

でも、もう何年も書いていないから、あの講座に入って、他の受講生の前で自作のポエムなりを読むなんて…考えただけで顔がほてってくる。

それで私は、文具屋さんで気に入ったノートを買って、思い付いた言葉を書き留めてみることにした。

書き始めてみると思いのほか、次々に言葉が浮かんでくる。

人に見せたり聞かせたりできるような代物じゃないけれど、自分の気持ちを穏やかに落ち着かせるには、充分すぎるくらいに効果があるみたいだ。



習い始めたピラティスと、ノートに書き留め始めた言葉のカケラのおかげで私は少しずつ元気を取り戻していった。


「美鳥さん。こんにちは!」

もうひとり、私の顔をみると声をかけてくれる人がいる。

見学の時に、ちょうどポエムを読んでいた菜穂ちゃんだ。

いまどきの高校生にしては、しっかりしているし、なんといってもその人懐こい笑顔で話しかけてきてくれるのが、とても嬉しい。

菜穂ちゃんは、講座で発表するポエムを、私にも聞かせてくれる。

「だって…美鳥さんに感想を言ってもらうと次にもっといいポエムが書けるんだもん」

そしていたずらっ子のような目で、私を見て

「美鳥さんも由貴子先生の講座に来ればいいのに…。だって、ポエム書いてるでしょ?そのクローバーのノートに。私、知ってるんだ」

と、毎回のように誘ってくれるのだ。

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青い鳥のいる部屋 4

菜穂ちゃんは誘ってくれるけれど、相変わらず人前で自作のポエムを読む勇気はなかった。

「もったいないなぁ。美鳥さんのポエム、私好きなのに…」

菜穂ちゃんには、ねだられて一度だけクローバーのノートを見せたのだ。

「ありがとう。菜穂ちゃんにそう言ってもらえるだけで、嬉しいわ」

「ねぇ、今度、由貴子先生に読んでもらおうよ」

「それは駄目よ。受講生でもないのに」

「え~。読んでもらうだけならいいでしょ。感想は菜穂が由貴子先生と世間話のついでに聞いてあげるよ」


正直、由貴子先生に読んでもらって、感想を聞いてみたい気持ちはあった。

でも、受講生でもないのにそれはできない。

かといって、受講する勇気はないのだ。

「あ、由貴子先生だ。由貴子せんせ~い!」

見ると、由貴子先生が受講生の男性と何やら話ながら歩いてくる。

「あら、菜穂ちゃん。美鳥さんも。こんにちは」

「じゃあ、僕はこれで」

男性は私にも軽く会釈をして歩きだしだ。

「川相さん、いいのが書けたら、教室でも披露して下さいね」

由貴子先生が彼に声をかける。

「え~、カズさんって他でも書いてるの?」

「そうみたいよ」

「うちのパパとは大違い!…カズさんって菜穂のパパと同い年なんだよ。詩も書くけど曲も作るんだって」

そういえば最初に見学に行った時に、とてもいい声で詩を読んでいたっけ…

「ところで、ふたりして何の相談?」

「あのね。美鳥さんのポエム、ひとりで抱え込んじゃってて、もったいないなぁ、って思って。
由貴子先生にも読んでもらえたらいいのに」

「いえ、私は先生のクラスを受講してないし…恥ずかしいからいいって言ってるんだけど…」

由貴子先生は、私に優しい笑顔をむけて

「そうねぇ。申し訳ないけど、立場上ここで読んで講評っていうのは無理ね。でも、私も美鳥さんの書くものは読んでみたいな」

そして、何かを考え付いたらしく、ひとりで頷きながら

「発表の場は、何もこういう講座だけじゃないわよ。工夫すればいろいろあるの。…私の知り合いはホームページを作ったりしてるって言ってたわ」

「ホームページ…でも、そんな高度なこと、出来そうもないです」

「あ、じゃあ、ブログとかは?あれなら簡単だよ!」

「そうねぇ。美鳥さんもお仕事とかでパソコンは使ったりするんでしょう」

 確かに使いはするけど、はっきり言って苦手だ。

「パソコンじゃなくて、携帯とかで出来るのもあるよ。美鳥さんがやるなら、菜穂もやろうかな。一緒に始めようよ」

「私も応援するわ」


いつも、いつも、物事を決めたり、新しく始めたりというのは、とてもチカラがいる。

誰かに背中を押してもらわないと、最初の一歩が踏み出せない。

ここでこうして、由貴子先生や菜穂ちゃんと知り合って、私は少しずつ変わっていけるかしら。

いつか、夢の人に出逢う日が本当にくるとしたら…

見つけ出して良かったって、思ってもらえるような…そんな私に変わっていたい。

「じゃあ、菜穂ちゃん。いろいろと教えてくれる?」


そうして、これがあの人と出逢うきっかけになるなんて、運命は思ってもいない、いたずらをする。

これまでも何度もすれ違っていたのに…気がつかなかった。

ほんの少し手を伸ばせば届くところに、あの人はいたのに。


ずっとずっと…待ってた。

ただ…あの人が、私を探し出してくれるのを。

その先に、どんな運命が待っているのかなんて、考えることもしないで。

ただ…ふたりが出逢えれば、私は幸せになれるって、信じて疑わなかった。

私たちは、青い鳥のいた“未来の国”の恋人たちだから。

いつかきっとまた、めぐり逢って…ふたつの魂がひとつに溶け合う日がやってくると、それだけを信じていた。

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青い鳥のいる部屋 5

やっと君にめぐり逢えた。この広い世界で…。

幾度も僕らは、すれ違い。ほんの少し手を伸ばせば届くところに君はいたのに…。

「ずっと…ずっと待ってるわ。あなたが探し出してくれるのを」

待たせたね。やっと…逢えたね。





     2.  一馬



生まれた時から…いや、生まれる前から…僕はずっと誰かを探していた。

僕の心の奥にいる…君はいつも哀しそうな瞳で僕をみつめている。

「離れたくないの。ずっと一緒にいたいのに…なんで、一緒にいられないの?」

その度に僕は、君を強く抱きしめる。

…放したくないよ。君をこうして、ずっと抱きしめていたいよ。

ずっとずっと、こうしていよう。時がふたりを引き裂くまで…

けれど、いつも、時間は無情だ。僕の腕の中から、君を奪い去る。

絶対に君を探し出してみせるよ。

何百も何万も…何億の人がいても、僕は必ず君を見つけ出すよ。

僕の言葉に、君が泣き出しそうな顔で応える。

待ってるわ。ずっとずっと…待ってる。あなたが探し出してくれるのを。

きっと私は、世界中でいちばん、哀しいものになっているから…きっと私を見つけだしてね…

そんなのは嫌だ。君が世界中でいちばん哀しい存在だなんて、僕がけっして許さない。

必ず見つけ出して、世界中でいちばん幸せになるんだ。



「パパったら、またトリップしてる」

中学生の娘の奏恵が、トーストをほおばりながら呆れた声でいう。

「ほっときなさい。それより、早く出ないと遅れるわよ!」

「はぁ~い!いってきまぁ~す!」

「ほら、あなたも出ないとまずいんじゃないの!」



現実なんてこんなもんだ。

毎日、朝起きて、支度をして会社に行く。

山積みの仕事をこなして、程よく疲れて家に帰る。

変わらない日常。代わり映えのしない会話。

「僕のあの娘はどこにいるんだろう…」

と、つぶやくと

「はいはい、きっとまだめぐり逢ってないんでしょ。私は違うからね」

と、返して来る妻の言葉までいつも同じだ。


この歳になるまで、何度か恋をした。

けれど、どの娘も僕のあの娘ではなかった。

妻の恭子は、高校の時の同級生で、高校3年の時から付き合っていた。

一時期、恭子が短大を卒業して勤め始めて、僕がまだ大学にいっている時期に離れたが、また何年かして再会して付き合いだした。

結婚したのは、大学を卒業して…やっと会社にも慣れた頃だ。


結婚してしばらくは共働きをしていたが、長女の詩織が生まれて、恭子は家庭に入った。

女3人に囲まれて、僕は少し分が悪い。

何をするにも、何を決めるにも…いつも女3人ですぐに団結する。

ピザを頼む時でさえも、彼女たちの好みで決められる。まぁ、いいんだけどね。


僕の唯一の休暇の楽しみは、趣味のギターだ。

好きなアーティストの曲を、気の向くまま思う存分に弾く。

そのために家を改築する時に、防音の部屋を作った。

けれど、いつのまにかその部屋は娘たちのピアノに占拠されて、僕のギターは隅の方に追いやられている。

いつかは自作の曲を作って、聴いてもらいたいのだけれど、うちの家族はきっと、まともに聴いてくれないんだろうな。


仕事で使っているパソコンを、趣味でも使い始めたのは最近のことだ。

最初は詩織が、高校のクラスで流行っているんだ、と言って、自分もやってみたいからやり方を教えてくれ、と言ってきた。

最近、流行りのブログというやつだ。

たくさんあるブログを開設できるサイトの中から、高校生が使っても安全そうなサイトを選んで、パソコンの使い方だけを教えた。

もともと、最近の子はパソコンだろうが何だろうが、簡単に器用に使いこなす。

詩織だけじゃなく奏恵も、一緒に覚えて同じようにやりだした。

二人は日記やら、何やら自分たちで楽しんで活用しているようだ。

「面白いよ。パパもやってみたら」

やってみたい気持ちはあったが、娘たちと同じサイトで開設して、読まれでもしても嫌なので、僕は家族に内緒で開設出来そうな別のサイトを探してきて、こっそりと登録した。


何を書いていこうか…

まだ見ぬ僕の彼女にむけてのメッセージソング…

 
もしも、君が読んでくれたなら…僕は君を見つけ出せるだろうか。

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青い鳥のいる部屋 6

ブログを開設して、最初のうちは…好きなアーティストの話題や、日頃の日記風な部分、最近みたテレビドラマや映画の話題など…あたりさわりのない内容を、思い付くままに書いていた。

仕事で疲れて帰った日は、何をする気力もなくて、何日も更新せずに放っておいたりもした。

気負わずに始めたせいか、無理をするということもなく、息抜きにはちょうどよかった。

ぼちぼちとコメントを入れてくれる人も出来てきた。

お互いどこの誰とも知らずに顔も知らないのだから、変に気を遣いすぎることもなく、率直に感じたことなども書き合える。

なかなか、面白かった。


そろそろ、自作の曲なども作りたいな、と思い始めて…以前、学生の頃に書いた詞を載せてみることにした。

かなり、恥ずかしい。

あの頃は、思ったことをそのまま言葉にしていた。

そうかと思うと、思いっきりロマンチックなシチュエーションだったりして…

そんな拙い文章にコメントをもらって、もう少し上手く“歌詞”らしくかけたら…という気持ちが出てきた。

ギターのサークルの仲間で、やはり自作の曲を作っている奴がいて、どうしているのかと聞いてみた。

「やぁ~、俺も自己流ですよ。もう少しマシな歌詞がかければいいとは思うんだけど。
こんなの彼女には、聴かせられないっすよ。」

そして、他の連中に聞かれないように、小さな声で

「実は習いにいこうかと思ってるですけど…一馬さん一緒に行きませんかねぇ」

と言ってきた。

何でも、電車で30分くらいのところに出来たばかりの、カルチャースクールにそういった講座があるらしいのだ。

「他の連中には内緒ですよ。行ってみて自分に合わなければ止めちまえばいいし。どうですかねぇ」

とりあえず行ってみて決めようということで、次の土曜日に彼と二人でB文化センターに行ってみることにした。



自作の詞をいくつか書き出して、次の土曜日にその講座の体験に行ってみた。

まだ開講したばかりの講座で、受講生は高校生の女の子と父親くらいの年代の男性、友達同士で来てるらしい20代くらいの女性が3人の、5人だけだった。

講座の講師は、20代後半と思える女性だ。

「まだ、始まったばかりの講座なので、みんな手探り状態なんです。まずは、文章を書く、ということに慣れることですね。同じ意味合いの言葉でも、表現の仕方は何通りもあります。オリジナリティーを出せるようにしましょうね」

この日は受講生が前回までに書いたものを、ひとつずつの表現を取り上げて言い回しを変えてみたりした。

ちょっとした表現の違いで、印象がかなり変わる。

…言葉のチカラみたいなものを感じた。



「一馬さんの書く詞って、ロマンチックですよね」

「そうそう。女性の気持ちのも…すごくわかるっていうか…体験談なのかしら」

講座に通うようになって、一か月もすぎるとお互いの書くもののパターンもわかってきて、講評もワンパターン化してきた。

そこを軌道修正してレベルアップさせてくれる、由貴子先生はやはり若いといってもプロの講師だな、と思う。


ここのところ、僕の書く詞は…まだ見ぬ彼女へのラブソングが多くなっていた。

受講生の女性陣には概ね好評だが、必ずといっていいほど“体験談”なのか?と聞かれる。

その度に僕は

「体験談じゃないよ。想像力のたまものだね」

と、言うけど、半分くらいは本音だったりする。

恭子には

「パパはまた、くだらない詩を書いてる」

って言われるけど、実際に読ませているわけじゃないから、好きなように言わせている。


ブログにも、最近は“詩”の書庫を作ったりして少しずつ載せている。

でも、それを知っているのは、由貴子先生だけで、他の受講生メンバーは誰も知らない。

由貴子先生は

「書いたものは、できるだけたくさんの人に読んでもらって、感想をもらったらいいわ。
そうすると気がつかなかった自分の文章の癖とか、いい面悪い面わかるから」

と言って勧めてくれる。

最初に一緒に講座を体験にきたサークルの仲間の加藤は、2回受講しただけで

「やっぱり俺には合わないです」

と言って受講するのを止めてしまった。

そのくせ、終わった頃の時間を見計らって、センターのロビーをうろついている。

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青い鳥のいる部屋 7

今日も講座が終わって、由貴子先生と世間話をしながらロビーにきたら、加藤がロビーのソファーにふんぞり反って座っている。


僕らに気がつくと大きく手を振ってきた。

奴の目当ては由貴子先生らしい。彼女がいるくせに調子のいいヤツめ。


「由貴子せんせ~い!」


由貴子先生が加藤に気がつく前に、加藤の前のソファーから、声がかかった。

同じ講座を受講している高校生の菜穂ちゃんだ。

「あら、菜穂ちゃん。美鳥さんも。こんにちは」

加藤が、ガッカリした顔でこっちを見ている。


「じゃあ、僕はこれで」

「川相さん、いいのが書けたら、教室でも披露して下さいね」


由貴子先生がにっこり笑って声をかけてくれる。

菜穂ちゃんと一緒にいる女性も、恥ずかしそうにこちらを見ている。

彼女は確か以前に、講座の見学に来ていたな。優しそうな印象の女性だ。歳は僕らと同じくらいだろうか…。

講座は受講しないのかなぁ…。


彼女に会釈をして歩き出す。加藤が後ろから付いてくる。

「一馬さん、歩くの速いですよ。なんかいい雰囲気の女の人がいましたねぇ」

「加藤、お前調子よすぎ」

「え、そうですか?」

「由貴子先生と仲良くなりたいなら、お前も辞めないで受講してたらいいだろう」

「やぁ、先生と生徒ってのはどうも…。いいんですよ。一馬さんって共通の友人がいるから。それより、新曲出来そうですか?」

少し呆れながら加藤の顔を見たが、本人は全然気にしていないようだ。

「まぁ、ぼちぼちな」

「来年の秋にはライブやりたいって、鈴木さん言ってましたよ。早めに作って練習しないと…」

そういうお前はどうなんだ、という言葉をグッと飲み込んで

「心配しないでもちゃんとやってるよ」

と言った。


実際、いくつか曲に出来そうな詞も書けているし、音のイメージもいくつかある。

加藤の言い草じゃないけど、そろそろ本気で作ってみようかなと思う。



講座での作詞とブログでの詩と…少しずつだが、曲をつけることを意識して作り始めた。

加藤は相変わらず、ちょくちょくとセンターのロビーにやってくる。よくセンターの職員があいつを追い出さないものだ。

「一馬さん、曲作り進んでますか?」

「まぁな」

ただ、このところ作る歌詞が、まだ見ぬあの娘に向けて書いたものが多くて、講座でもブログでも、すっかり僕はロマンチストだというイメージが定着してしまった。


講座も女性の受講生が大半だが、ブログのほうもコメントを残してくれるのは、圧倒的に女性が多い。

特に“詩”については、ほぼ100%女性だ。


特によくコメントを入れてくれる人は、何人か決まっている。

一番コメントを入れてくれるのは、ブログを開設した当初からカキコんでくれている“華”さんで、彼女は感性の豊かな人だ。
 
ときどき自分でも気付いていないようなことをズバッと指摘してきたりしてドキッとさせられる。

それから“タマコ”さん、猫好きな彼女にかかると、僕のラブソングも猫視点で語られる。

他にも何人か定期的にコメントを入れてくれる人がいる。


そんななかで最近、気になり始めた女性がいる。“青い鳥”さんだ。
 
最近になってよくコメントを入れてくれるようになった“青い鳥”さんは、どこか控えめで…僕があの娘にこの詩を捧げたら…こんなふうに言ってくれないかな、と思っているものにピッタリとはまっているのだ。

思わず、君が僕のあの娘なの?と聞いてしまいたい衝動にかられそうになる。

彼女はどんな女性なんだろうか…。


 
彼女のブログを覗きに行ってみると、書庫の種類など、僕と共通するものが意外に多い。

日記・映画・本・美味しそうなお菓子…そしてポエム。

彼女の書くポエムは、どれもほんわかとしたイメージの…優しい言葉で綴られている。

何回か読んで、気に入ったものは、思わず覚えてしまった。

僕もなるべく、感じたことを素直に、コメントしてから帰る。

それに対して、彼女がなんてレスを入れてくるのか…ちょっと気になってる。

彼女がどう思っているかはわからないけれど…学生の頃のように、そんなことでドキドキしている。

まるで好きな娘のことが、気になって仕方のない少年のような気分だ。

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青い鳥のいる部屋 8

今日もまた、僕のブログにコメントを入れてくれている。

昨日、作った詩『いつか出逢えたなら…』にも、彼女らしいコメントが入っていた。





『いつか出逢えたなら…』





    いつも夢に見ている


    いつか君と出逢えたなら…



    君の好きな歌を 僕は歌ってあげよう


    君の好きな花を ふたりして愛でよう


    君と繋いだ手を 僕はけして放さないだろう


    君は僕を見つめて 優しく微笑むだろう




    いつか君と出逢うために…


    僕は今を生きているのだろう


    いつか君と出逢えたなら…


    僕は二度と君を離しはしない







〔出逢いって不思議ですよね。人は誰でも…生まれた時から魂の片割れを探しているんですって。

私も…ずっと探してくれるのを、待っています。いつかきっと…めぐり逢えることを信じて。〕



今までも僕の書いた詩に、嬉しいコメントを入れてくれていたけれど、今度のコメントは本当に、もしかしたら?

と思わせるものがあった。

違うかもしれない。

でも、こうしたみんなに見られる場ではなく、個人的に話をしてみたい。

そんな想いが湧き上がってくる。

やっぱり迷惑かな?

けれど、気になりだしたらどうしようもなかった。

まだ、直接言葉をかわしたこともないのに…。


けれど、彼女とふたりだけで連絡をとるなんてことは、きっと不可能に違いない。

そんな想い半分、あきらめ半分で、彼女の入れてくれたコメントにレスをする。


〔僕も生まれる前から、誰かを探しています。いつかきっとめぐり逢おうね、と約束しているあの娘。

…こんなこと書くと、また“ペガサス”はロマンチストだって言われちゃうかな〕



僕の入れたレスに、彼女はなんて返してくるんだろう。


その日と次の日には、彼女のアクションは何にもなかった。

彼女のブログにも訪問したが、更新もされていない。

どうしたのかな?

いちいち気にしている、自分がおかしい。

あまりパソコンばかりいじっていると、家族にもおかしく思われるだろう。

今日もいつもどおりに、ひとつふたつ詩を載せて、コメントにレスをして…最後にもう一度、彼女のブログを訪ねてみる。


久しぶりに更新されているようだ。

元気そうでよかった。
 
こんな些細なことさえも嬉しく感じるほど、僕は彼女の存在を意識していたみたいだ。
 
いつもどおりのやりとりのなかで、いつのまにか僕は“青い鳥”さんを、僕のあの娘だという想いで接していた。

どうにかして、逢ってみたい。そんな想いを抱きながら…




僕のそんな想いは、他のブログを尋ねてきてくれる人にも、透けていたのだろうか?


いつもは必ずコメントを入れてくれる“華”さんが、僕と“青い鳥”さんの会話の中には、入ってこない。

かといって、大勢がコメントをくれているところには、ちゃんとカキコんでくれているから…感性のするどい“華”さんは、僕の気持ちなど、お見通しなのかもしれない。

そんなふうに、他の人には気付かれてるかも…ってふうなのに、肝心の彼女“青い鳥”さんは、気付いているのか…いないのか…微妙だ。



ある日の記事のなかで、僕たちは意外に近い場所に住んでいるらしいことがわかった。

僕が文章の講座の帰りに、よく加藤と立ち寄る喫茶店『クローバー』に、どうも彼女も行くことがあるらしいのだ。


〔ごく一般的な喫茶店だけど、不思議と居心地がよくて…ついつい長居をしてしまいます。コーヒーも紅茶も軽食のメニューもおいしいけれど、私は“クローバー”に行くと大抵ケーキセット。アッサムティーとモンブラン。

ケーキはすべて手作りで最高!…ひとりでこのお店に来て、よくポエムを考えてます。〕

〔“青い鳥”さん、もしかしたら…その喫茶店“クローバー”って、B市にあるB駅の駅前じゃないですか?

だとしたら…僕もここ最近、週一回のペースで行ってますよ。もしかしたら…すれ違っているかもしれない

ですね!〕

〔“クローバー”はかなり昔からある喫茶店みたいです。私の生まれる前からあるみたい。…“ペガサス”さんが来てるかもって思ったら、きっと気になってポエムを書くどころではなくなってしまいそう。〕


これは、神様が僕に与えてくれたチャンスなのかな?

彼女が“クローバー”に、いつ行くのか聞き出せば、もしかしたら逢えるんじゃないのか?

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青い鳥のいる部屋 9

 3.美鳥



〔僕も生まれる前から、誰かを探しています。いつかきっとめぐり逢おうね、と約束しているあの娘…〕


ブログのなかで知り合った“ペガサス”さん。私の書いたポエムに、いつもコメントを入れてくれる。

“ペガサス”さん自身もブログのなかで、たくさんの詩を書いている。

男性から彼女を想う気持ち。女性から彼を想う気持ち。人間としての大切な想い。

どれも、せつなくて優しくて…心に響いてくる。

どの言葉にも…私は共感して、心が共鳴してしまう。


(…どんな人なんだろう…)


いつの間にか、“ペガサス”さんの書いた記事を読むのが、毎日の私の日課であり、楽しみになっていた。

私の素直な気持ちをコメントとして書く。


それに…私自身の書くポエムも。


いつの間にか“ペガサス”さんを、“夢の人”と重ねている。


そして…


“ペガサス”さんの書いた詩『いつか出逢えたなら…』を読んだ時に、私は“夢の人”に向けての想いをコメントに残していた。

(“ペガサス”さんはなんてレスしてくるだろう。もし“夢の人”が言いそうなこと書いてきたら…。
私は逢ってみたいって気持ちを押さえられるかしら? )


人の書いた文章を読んだだけで、こんなにも心がときめいてしまうことがあるなんて、想像すらしていなかった。

私達がお互いに書いている“詩”は、まるで“恋文”のようだ。

ただ、普通のラブレターと違うのは、たとえ特定の相手にだけ伝えたくても、まわりにいる人達を巻き込んでしまうこと。

伝えたい想いのぎりぎりを“ペガサス”さんにだけは汲み取って欲しい。

伝わっているのかしら…


私の書いたコメントを読んだ“ペガサス”さんが返してくれた言葉は、まるで“夢の人”の言葉そのものだった。

( 私の想いが届いたって、思ってしまってもいいのかな? )


正直なところ、私は恋にとても臆病になっていた。

人を傷つけてしまうのが怖い。

けれどそれ以上に自分が傷つくのが怖い。

だから…本当にいるのかもわからない“夢の人”や、直接に顔を合わせることのないブログという世界の“ペガサス”さんに、心惹かれるのかもしれない。

“ペガサス”さんの思いもかけない言葉に、嬉しい気持ちと一緒に、とまどいを感じていた。

いつもならすぐにカキコミをするのに、私は次の日もその次の日にも、何も書くことが出来なかった。

自分のブログさえも。


久しぶりにB文化センターで菜穂ちゃんと会った。

菜穂ちゃんも同じサイトでブログをしていて、よくカキコミをしてくれる。

菜穂ちゃん…ブログの中では“NAHO”ちゃんは、高校生らしく元気いっぱいなブログだ。

私はいつも彼女から元気をわけてもらってる。

ブログの中でも、実際にも。

「美鳥さん、このあと時間あったら“クローバー”に付き合って下さいよ!」

菜穂ちゃんは“クローバー”のチョコレートケーキに目がないのだ。

“クローバー”はB駅前にある喫茶店で、開業したのは私が生まれるよりずっと前らしい。
 
特別なところがあるわけじゃないけど、とても居心地のいい喫茶店だ。
 
それは店全体のかもしだす雰囲気。
 
マスターの佐伯さんやバイトの原田さんの人柄でもあるのだろう。

“クローバー”に着くと、いつもの窓際の指定席に落ち着く。

菜穂ちゃんは、チョコレートケーキとアップルティー、私はモンブランとアッサムティー。

いつものメニューだ。
 
まずはアッサムティーに、たっぷりのミルクと控え目なお砂糖を入れて、ゆっくりとスプーンで掻き回す。

最初のひとくちがとても美味しい。

身体中にしみわたるようだ。

「美鳥さんはいつもモンブランだね」

「そういう菜穂ちゃんこそ、いつもチョコレートケーキ」

「“クローバー”のチョコレートケーキは格別!でも、美鳥さん、他の喫茶店でもモンブランでしょ?」

私たちは顔を見合わせて、一緒に笑った。


「あれ?奥の席にいるの、川相さんと加藤さんだ」

菜穂ちゃんの言葉にお店の奥の席をみると、大きな観葉植物の陰の席に男の人がふたり座っているのが見えた。

一人は知っている。

由貴子先生のクラスの人だ。
 
そういえば、いつだったか、由貴子先生と一緒に歩いているところに会ったような…

「川相さんって由貴子先生のクラスの人だよね?」

「うん。カズさんは今も生徒。加藤さんは、2週間だけ生徒だった」

「カズさん?」

「川相一馬さん、40歳だよ~。菜穂のパパと同い年なんだよね。菜穂と同い年の女の子がいるって。見えないよね~」

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青い鳥のいる部屋 10

ふたりは、何かノートや、楽譜をテーブルの上に広げて、楽しそうに話している。

「声かけてみようか?」

「邪魔したら悪いわ」

「大丈夫だよ!カズさんなら、怒ったりしないもん」

そういうと、菜穂ちゃんは奥の席に歩いていった。

 
菜穂ちゃんが、何か声をかけて、そのあと三人が一斉にこちらを振り返った。

かなり恥ずかしい。

曖昧に会釈を返して

( 菜穂ちゃんたら、早く戻って来ないかしら )

と思う。


しばらくして菜穂ちゃんが、ニコニコしながら戻ってきて

「美鳥さん、紹介してあげる。おいでよ」

という。

「でも…お邪魔なんじゃない?」

「ないない」

無理やり手をひっぱって、立たされた。

背中を押して奥の席まで連れてこられてしまった。


「じゃ~ん!山咲美鳥さんでぇす。美鳥さん、川相一馬さんと加藤純一さん」

「は、初めまして…」

「美鳥さん“初めまして”じゃないよ~。カズさんとは何回か会ってるでしょ」

「前に由貴子先生の講座に見学にいらっしゃいましたよね?」

「はい…覚えていらっしゃるんですか?」

「えぇ、きれいな女性は忘れませんよ」

「カズさん、そのセリフくさいよ」

「ごめん。思ったことがすぐに口にでちゃうんだ」

「一馬さん、オモテウラのない人だからねぇ。俺は初めましてですよ」

「加藤さんはすぐやめちゃったからね。美鳥さんが見学きた時には、すでにいなかったし」


菜穂ちゃんと、川相さん加藤さんの会話を聞いていると、年の差を感じさせない、友達のようだ。

私は途中で口をはさむことも出来ずに、彼らの会話を楽しんでいた。

「山咲さん、おとなしいんですね」

3人の会話と言っても、ほとんど菜穂ちゃんと加藤さんの漫才のようなやりとりに、話をふられた時だけ加わっていた川相さんが、私に気を使ってか声をかけてくれる。

「自分から話すのは、ちょっと苦手なんです。お話聞いてるほうが…」

「つまらなくないですか?」

「そんなこと…。聞いてるだけで、楽しいです」

「なら、よかった。講座、受講しないんですか?」

「…いえ、そんな才能ないですし」

「私だってないですよ。ないから教えてもらってる」

「そんな。…あの、一回聞いただけですけど、とっても素敵な詩でした。歌を創っていらっしゃるんですか?」

「えぇ。書いた“詩”が全部、歌の“詞”になるわけじゃないですよ。山咲さんは、何か書いてますか?」

「えぇ。でも…思い付きです」

「私のも思い付きです」

川相さんが白い歯を見せて笑った。

爽やかな笑顔がまぶしい。


「ねぇねぇ、いつの間にかふたりだけで何話してるの?」

「思い付き」 「思い付き」

ふたり同時におなじことを言ってしまった。 自然に顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。

「いつの間にこんなに仲良くなっちゃったの?」

「僕たち波長が合いますね」

「えぇ。なんか川相さんと話してるとホッとします」

また瞳が合った。

「えぇ~っ、でもふたりして敬語使ってるのおかしいよ~」

菜穂ちゃんの言葉にみんなで笑った。




それからも川相さんとは“クローバー”でよく顔を合わせる。

お互いひとりの時もあれば、加藤さんが一緒の時も、菜穂ちゃんが一緒なこともある。

連れがいない時は、挨拶をするくらいで特に一緒の席に座ることもなく…同じ店の中にいるだけで落ち着いた。

菜穂ちゃんや加藤さんがいる時は、大抵このふたりが声をかけて、一緒の席に移動する。

とりとめもない話で盛り上がった。
 
ふたりきりの時も、みんなでいる時も…どちらも楽しく、ますますこの喫茶店が居心地のいい場所になった。



ブログのほうは“ペガサス”さんを“夢の人”と意識してしまってから、恥ずかしくてポエムが思うように書けなくなってしまった。

ここのところ、ポツポツと日記風な内容を書くばかりだ。

昨日の日記に“クローバー”のことを書いた。こんなに居心地のいい喫茶店を誰にも教えたくなかったけれど“ペガサス”さんには知って欲しいな、と思って。

そして“ペガサス”さんのコメントには、思いもかけないことが書かれていた。

〔“青い鳥”さん、もしかしたら…その喫茶店“クローバー”って、B市にあるB駅の駅前じゃないですか?
だとしたら…僕もここ最近、週一回のペースで行ってますよ。もしかしたら…すれ違っているかもしれないですね!〕

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青い鳥のいる部屋 11

“ペガサス”さんが、この喫茶店に来ている。

そのコメントを読んだ時の衝撃を、なんて言ったらいいのだろう。

( もしかしたら、顔を合わせているかもしれない! )


けれど、よく考えれば、私が“クローバー”に来るのは、週に一度。B文化センターでのピラティスのある、土曜日の午後の1~2時間だけだ。

“ペガサス”さんも、週一回って書いてあった。

それが何曜日の何時頃なのか、わからない…。


( そうよ。もし同じ時に店内にいたとしても、お互いに顔を知らないのだもの。気がつくはずがないわ )

それに、もし仮にどの人が“ペガサス”さんかわかったとして…私はどうしたいのだろう。

( わかってもきっと、まともに口なんかきけないわ )


その時、何故か…川相さんの顔が頭に浮かんだ。

( 川相さんが“ペガサス”さんだったら、話も弾みそう )

思い付き。だけど、今度はその考えが頭から離れなくなった。


“ペガサス”さんは、ブログに詩を載せている。川相さんは、歌の詞を書いている。

“ペガサス”さんの詩は、ロマンチック。川相さんの詩は?

一回聞いただけだ。

( そういえば、見学に行った時に由貴子先生から受講生の詩のプリントをもらったっけ…どこにしまったかしら? )


そこまで考えて、おかしくなった。

私は川相さんが“ペガサス”さんで“夢の人”だったらいいのにって、思ってるの?

川相さんは、結婚していて、菜穂ちゃんと同い年のお嬢さんもいるのに…。


馬鹿だわ。


もう実在の男の人に、恋することなんて出来ないと思ってた。


菜穂ちゃんや加藤さんがいる時に、川相さんと話す内容は、時々、家族の話になる。

外出先で娘さんの好きそうなものを見つけると、写メして、娘さんに「欲しい」って言われたら買って帰るとか。

たまに寝る前に、娘さんと一緒にストレッチをするとか。

そんな話を、ちょっとだけ照れくさそうに、けれど気負わず自然に話す川相さんが、いいな、と思っていた。

きっと恋じゃない。人間としていいな、と思ったのだ。


( 私も結婚してすぐに子供が出来ていたら… )

川相さんとその家族の関係が羨ましかったのかもしれない。


“ペガサス”さんの正体が知りたい。だけど、知るのが怖い。

…きっと、川相さんが“ペガサス”さんなら、好きになっちゃいけないって、自分に言い聞かせられるから…。

だから…そう思い込もうとしている。


そうなのかな。



次の土曜日に、菜穂ちゃんと“クローバー”に行ったけれど、落ち着かずに、すぐに帰ってきてしまった。


その夜、ブログにこの前書いたポエムを載せようと思って、パソコンの前に座った。

いつも使っているバックを引き寄せて、中からポエムを書いているクローバーの表紙のノートを取り出す。

いや、取り出そうとした。


バックの中に、ノートが入っていない。

( 変だわ。確かに持ってたはずなのに… )


あっ…


今日、“クローバー”でノートを広げた。

ポエムを書こうとしたのだ。

でも、思い付かないで、しばらく白いページを見つめたまま…


そのあと、どうしたっけ?


ノートを閉じて、椅子の上に置いて…化粧室にたって…

川相さんたちが“クローバー”に来そうな時間になったから、そのまま、伝票を持って…

そのまま、お金を払って出て来ちゃったんだ。

( 忘れてきちゃったんだわ )


私の心の詰まったノート。

直接、口に出せない想いを綴ったノート。

今まで、ブログに載せたポエムも、このノートを見つめていて生まれてきた。


明日、仕事が早番だから、帰りに途中下車して、取りに行ってこよう。

それまで、無くなってたりしないよね?



次の日、仕事が終わると急いで“クローバー”に向かった。


「すみません。昨日、私、忘れ物をしちゃったみたいなんですけど…」

「あぁ~、これかな?」


カウンターの中から出てきた、マスターの佐伯さんの手に私のクローバーの表紙のノートがあった。

「よかった…」

「大切なノートなんでしょう」

「えぇ、とても」

「見つけたのが常連さんだったからね。初めてのお客様が見つけて持って帰っちゃったら、取り戻しようがないからね」

「すみません。気をつけます」

「せっかく来たんだから、珈琲でも飲んでいったら?あ~、山咲さんは、アッサムだよね」

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青い鳥のいる部屋 12

マスターの淹れてくれたアッサムティーは、とても美味しかった。

もうすぐ閉店の時間だというのに

「気にしないでゆっくりしてって」

と、言ってくれる。

私はその言葉に甘えて、ゆっくりとアッサムティーを飲み、私の手に戻ってきたクローバーのノートの表紙を指でなぞる。

「あら?」

その時、ノートの中ほど辺りに薄い水色の紙がはさまっているのに気がついた。

そっとノートを開いて、その紙を取り出してみる。

二つ折りにした水色の紙を広げると、B文化センターの冬季休講日のお知らせだった。

( いつノートにはさんだかしら? )

何気なく裏返してみると、見たことのない字がそこにあった。

癖のない、けれどしっかりした字が記されている。



〔失礼かと思いましたが、ノートを読んでしまいました。

…本当に“青い鳥”は身近にいたんだね。

この喫茶店“クローバー”で、もしかしたら逢えるかもしれない、なんて思ってもみたけれど、こんな形で君に逢えるなんて、思いもしなかったよ。

君の手書きの文字で、このノートに綴られた詩を読んだ時に、正直とてもびっくりした。

しばらく君がノートを取りに戻ってくるんじゃないかって、ドキドキしながら待っている僕がいた。

でも、残念ながら、神様はまだ僕たちを逢わせてはくれないみたいだね。

もうこの店の閉店時間を30分も過ぎてしまった。

マスターにノートを託して今日は帰ります。

いつか君と逢えることを信じて。

                                     ‥‥“ペガサス”〕



ドキドキしていた。

 
どうやって呼吸すればいいのか、忘れてしまったみたいに。


(“ペガサス”さん! )


思わずあたりをキョロキョロとしてしまう。


( ばかみたい。これって昨日だわ )

マスターに、ノートを見つけてくれた人~“ペガサス”さんのことを尋ねてみようか?


 
しばらく考えて、バックから手帳を取り出した。
 
中からいつも何枚か持ち歩いているグリーティングカードを一枚取り出して、ちょっと考えてから、心を込めて一文字ずつ書き綴っていく。



〔私の大切なノートを見つけてくださって、本当にありがとう。

このノートを見つけたのが“ペガサス”さんだなんて、運命のようなものを感じてしまいます。

神様って本当にいるのかもしれない。

だから…きっと次の機会には、逢えるのかもしれない。

私もそう、逢えるって信じてます〕



もう一度、読み返してみてから、カードとお揃いの封筒に入れてシールで封をした。

「マスター、お願いがあるんですけど…」




次に“ペガサス”さんが来て、カードを受けとるのは…来週の土曜日だろうか。

その時、私はこの店に来ているのか…いないのか…

少し落ち着いて考えてみよう。

自分の胸にそっと手をあてて、私はどうしたいの?と尋いてみよう。

そうしてじっくりと考えてから、私の心の声の命ずるままに…私は素直に、心の声に従おう。

“ペガサス”さんが、誰であったとしても…

“夢の人”だったとしても…そうでなくても、私の心の声をもう一度だけ、信じてみよう。


とりあえず、来週の土曜日までは、気持ちを落ち着かせて、心の声に耳を傾けることだけ…


「お願いします」

「わかった。預かっておくよ」



アッサムティーの代金をレジのトレーに乗せて、私はそっと店を出た。

だから、マスターのつぶやきは私には聞こえていなかった。



「…直接渡せば早いのになぁ。ふたりともシャイというか…。一昔前の高校生みたいだな。…それとも、相手が誰だか気付いてない?いや、そんなこたぁないだろ…よく一緒にいるんだから…」



私達ふたりの、物語の1頁目が、静かに始まろうとしていた。

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青い鳥のいる部屋 13

.       4.一馬 



いつもの席に着こうとした時に、ふと目にとまった。

ノートが、ひっそりと椅子の上に置いてある。

忘れ物かな…

そういえば、このノートには見覚えがある。

クローバーの表紙のB5サイズのノートだ。

( たしかこの席には、よく菜穂ちゃんと山咲さんが座っていたっけ… )

山咲さんがノートをバックにしまうのを、何回か見かけたことがある。

いつも大切そうにしている。

マスターに預けるか?

山咲さんは、今日はもう帰っちゃったのかな?

もしかしたら、忘れたことに気がついて、戻ってくるかもしれない。

そしたら、直接渡せばいいだろうか…。

今日は、めずらしく加藤もいない。

ひとりだけだから、ゆっくり珈琲を飲みながら、持ってきた本でも読むか…。詩を考えるか…。

椅子からノートを取り上げて、いつもの席にむかう。

珈琲とホットサンドを注文して、椅子に腰掛ける。

( 待てよ。勝手に山咲さんのノートだって決め付けたけど、もし他の人のだったらどうする? )

それは、もっともらしい理由をつけて、ノートの中を覗き見てみたいだけなのかもしれない。が…。

( 山咲さん。ノートの持ち主さん。ごめん!ちょっとだけ、読ませてもらうよ )

ゆっくりとノートの表紙をめくる。

ノートの1ページ目には、女性らしい柔らかな文字が並んでいた。
 

ポエムだ。

そういえば、山咲さんもポエムを書いているんだっけ。

悪いと思いつつ、ノートの文字を目で追っている。

山咲さんらしい、控え目で優しい言葉が綴られていた。

ちょっと待てよ。このフレーズはどこかで読んだぞ…。

ページをめくる手が少し速くなる。

( これって…。“青い鳥”さんの… )

間違いない。

“青い鳥”さんのブログで読んで、気に入って…いつの間にか覚えてしまった詩が、手書きの文字で綴られている。

それはひとつだけでなく、書かれているポエムのいくつもが、何回か読んだ“青い鳥”さんのものだった。

( 山咲さんが“青い鳥”さん… )

今まで考え付かなかったのが、不思議だ。

ポエムを書いている女性で“クローバー”によく来ている、まさしく“青い鳥”さんじゃないか…。

今まで、霧のように霞んで、ヴェールの向こう側に隠れて見えなかった顔が…僕ににっこりと微笑んでくれるのが見える。

( やっと、めぐり逢えた… )

今までそうと気付かずに、言葉をかわしていた。

初めて顔を見掛けた日から、今日までの彼女の笑顔が、僕の胸の中で甦った。

山咲さんが、ノートを取りに戻ってきたら…なんて声をかけよう。

ノートの中身を読んでいないふりをするか?

いや、それはダメだ。読んだのに、読んでいないふりなんて、俺には無理だよ。

素直に読んでしまったことを謝るか…。

読まなかったら、持ち主がわからなかっんだから。

いや、それも違うな。

読まなくても、オーナーに預ければ済むことなんだし。

なんだ。結局は、俺がノートの中身に興味があったってこと、だよなぁ。

頭のなかでいろんな考えが右往左往している。

結局は、ノートの中身を読んでしまったのだから…彼女が“青い鳥”さんだと、知ってしまったのだから…。

今更、気がつかないふりなんて、出来ないよ。

やっぱり、彼女がノートを取りに戻ってきたら、潔く中を読んだことを謝って、ノートを返そう。

その時に…

( 俺が“ペガサス”だってことを、話したほうがいいのか…? )

彼女が戻ってきてから、考えるさ。

( やっと…やっと…。僕のあの娘にめぐり逢えたのかも、しれないんだから )


それから、店が閉店するまでは…とても長かった。いや、短かったのか?

とにかく、思考回路が止まってしまったかのように、僕は…持ってきた本も読まずに…新しい詩を作ることもせずに…

座った席から見える、店の入り口を…知らず知らずにじっと見つめていた。

「川相さん。悪い。そろそろ、店を閉めたいんだけど…いいかなぁ?」

マスターの佐伯さんが、遠慮がちに聞いてくる。

「悪い。ちょっとだけ待って」

何か書くものを探すと、B文化センターでもらった“冬季休講日のお知らせ”の薄いブルーの用紙がみつかった。

裏返して考えながら書く。

〔失礼かと思いましたが、ノートを読んでしまいました。
 
…本当に“青い鳥”は身近にいたんだね…〕

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青い鳥のいる部屋  14

彼女がいつ、ノートを忘れたことに気がついて、取りにくるのか…

僕は気になって仕方がない。

仕事も半分うわのそらだ。


本当は次の日に“クローバー”に行こうかと思った。

それを踏み止どまったのは、まだ自分でこれからどうしたいのか、はっきりと気持ちが決まっていなかったからだ。

“クローバー”で、山咲さんと顔を合わせて、どういう態度をとったらいいのか…わからなかった。


けれど、何日もは我慢出来なかった。

僕は4日後のふだんは行ったことのない、水曜日の夜に“クローバー”に足をむけた。


「お、めずらしいね。いらっしゃい!」


いつものように珈琲を頼んで、いつもの席に腰を下ろす。

珈琲がでてくるまで、僕はぼんやりと平日の夜の街に目をやる。

もっとも、この席からじゃ窓ガラスが大きな鏡のようになって、客もまばらな店内の様子を映しているだけだ。

「次の日に取りにきたよ」

「…え」

いきなり話しかけられて、少しドギマギとした。

「だから、ノート。こないだの川相さんが見つけたノートだよ」

「あ、あぁ…」

そのことをずっと考えていたくせに、自分でも反応が鈍いのがおかしく思える。

「あぁ、ありがとう」

「本当によかったってホッとした顔をしてたよ。大切なノートだったんだな」

「そうか。よかった」

マスターは珈琲を置くと

「ごゆっくり」

と、カウンターの中に戻って行った。


次の日に、取りにきたのか…。

僕の書いた手紙~走り書きだけど…には、気がついてくれただろうか。

ゆっくりと珈琲を味わって、思いをめぐらせる。


「あ~、そうだ。これ、預かってたんだ」

マスターが薄いグリーンの封筒を手渡してくれた。

「ノートの彼女からだよ」

「僕に?」

「あぁ、ノートを見つけてくれた人に渡してくれってね。やっぱり、直接お礼を言うのが恥ずかしいんじゃないのか」

「ありがとう」


“青い鳥”さん…山咲さんからの手紙。


僕は少年のように、胸を高鳴らせながら、そっと封筒に貼られたシールをはがした。


〔私の大切なノートを見つけてくださって、本当にありがとう。このノートを見つけたのが“ペガサス”さんだなんて、運命のようなものを感じてしまいます。…〕


僕が“ペガサス”だっていうことには、気がついていないのかな。

そうだろう。僕だってあのノートがなければ、彼女が“青い鳥”さんだなんて気がつかなかったのだから。


〔…神様って本当にいるのかもしれない。だから…きっと次の機会には、逢えるのかもしれない。私もそう、逢えるって信じてます〕


これは…逢ってみてもいい、ってことなのか?

彼女はどんな気持ちで、このメッセージを書いたのだろう。

これから先、僕はどうしたいのか…。


( 今までのただの顔見知りとしてではなく、彼女と話してみたい… )


そのためには、どうしたらいいんだろう。

いきなり“ペガサス”は僕です。なんて話しかけたら、驚くだろうな。

…ここはやっぱり、彼女への“想い”を込めて、彼女へ贈る詩を書くか。


彼女にもらったメッセージカードを封筒にしまい、残っていた珈琲を飲み干した。



翌日から僕は、彼女への想いを込めて、また詩を綴っていった。

一日一篇、ブログに載せて行く。

ただ、こんなこと続けても、彼女とふたりきりで直接話をするキッカケにはならないんだよな。

そう想いながらも、僕には他にすべがない。

胸の内から湧きあがってくる想いを、言葉にせずにはいられない。

僕は、恋しているんだろうか。


僕の“あの娘”に…

“青い鳥”さんに…

初めてはっきりと顔がみえた“山咲美鳥”さんに…


そうして、キッカケは思いがけない形でやってきた。


いつもの土曜日。カルチャーの帰りに、いつも通りに“クローバー”に立ち寄る。

今日も僕はひとりだ。


店に入ってまず、彼女が来ていないかと店内を見渡す。

残念ながら、いないみたいだ。

これから来るのかな?

どんな顔をしたらいいんだ。

自慢じゃないが、絶対顔に出るぞ。


店内の客が一段落したところで、マスターに声をかけられた。

「川相さん、また預かりもの」

見ると小さな手提げ袋に、リボンのついた箱と、またメッセージカードが入っている。

「彼女からだよ」

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青い鳥のいる部屋  15

小さな手提げ袋に入った、リボンのついた箱を取り出してみる。


なんだろう?

ちょっと振ってみたりする。


カラカラと音がする。

一緒に入っていたメッセージカードを開けてみた。


〔お口に合うかわかりませんが、私の好きなチョコレートです。私の手作りじゃないから、味は保証します。
ノートをみつけてくださったお礼です。本当は直接、手渡せればいいのだけど、ちょっと恥ずかしいので…〕


そこまで読んで箱を開けてみた。

美味しそうなチョコレートが入っていた。

メッセージカードには、まだ続きがあった。


〔ところで、ちょっとお願いがあります。こうして、いつもいつも“クローバー”のマスターに手紙の橋渡しをしていただくのも、申し訳ないので、直接メールなどで連絡が取れたら嬉しいのですが、“ペガサス”さんはどう思いますか?〕


どう思うもなにも!

ずっと、そうできたらいいな、と思っていたのだ。


〔…そこで、私のアドレスを“ペガサス”さんに、お教えしたいと思います。ただ、そんなの知りたくないと思われているのに、無理に教えてしまうのは嫌なので、ちょっと方法を考えてみました。〕


別に嫌じゃないよ。知りたいよ。


〔多分、このメッセージカードを読まれるのは土曜日かな?土曜日の深夜、24時から5分間だけ、ブログのプロフィールにアドレスを載せます。あ、土曜日の深夜って正確には日付が変わって日曜日ですよ。
間違えないでね。それで、もし私とメール交換してもいいな、と思ったらメールをいただけますか?すぐにお返事します。もし、迷惑だったら無視して下さいね。では“ペガサス”さんから、メールいただけることを願って。

“青い鳥”〕


そんな回りくどいことをしなくても…と思ったが、これでやっと、彼女と直接に連絡が取れるのだ。

何から話そう。

何を話そう。


まずは、チョコレートのお礼かな?


いろんな話をしてみたい。

僕のことを知ってもらいたい。

そして、できたら彼女のことをいろいろと知りたい。



逸る気持ちをどうにか押さえて、僕は家への帰り道を急いだ。

落ち着け、落ち着け。

まだ、始まったばかりじゃないか…。


家に帰ったら、顔に出さないように注意して、っと。普通にしないとな。


まだ、悪いことをしたわけでもないのに、なんだか心臓がドキドキとしてきた。



その夜、いつものように、家で食事を済ませて、いつものように家族でテレビを見て過ごした。


深夜24時少し前、パソコンの準備はOKだ。

実は23時くらいから電源を入れて、準備していたのだ。

まぁ、夜中にパソコンに向かうのは、いつものことだから、不審には思われていないと思う。

ついでに少しブログをまわって、コメントを入れたりして時間を調節しながら、24時ちょうどに“青い鳥”さんのブログに立ち寄る。

プロフィールを覗くと、いつもは非公開になっているメールアドレスが表示されていた。


本当に“青い鳥”さんは、正直な人なんだな、と思う。

5分間も表示していたら、他にも見てメールしてみようと思う人がいるかもしれない。

急いでアドレスを控えて、メールを送ろう。

アドレスはパソコンのものだった。


〔こんばんは。“ペガサス”です。アドレスを教えてくれてありがとう。とても嬉しいです。

それから、チョコレートをありがとう。大したことしてないのに、申し訳ないです。

甘いものは大好物なんだ。特にチョコレートはね!

ひとりで少しずつ、味わって食べようと思います。

それにしても、まさか“クローバー”で“青い鳥”さんのノートを見つけるなんてね。

神様って本当にいるのかな、って思ってしまうよ。なんて書いたら馴々しいかな。

でも本当に、以前から“青い鳥”さんとは直接メールしてみたいなって思ってたんだ。

嫌でなければ、ちょくちょくメールくれると嬉しいです。僕からも送らせてもらうね。

おっと、このメールが届いたら、すぐにまたアドレス非公開にしておいたほうがいいよ。

他にもアドレス知りたがってる奴がいるかもしれないからね。このメールがちゃんと届いたら、届いたとだけでも返信して。

では、これからよろしく(^_-)-☆

                                        “ペガサス”〕

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青い鳥のいる部屋 16

メールを送ってから、返信がくるまで…10分くらい待っただろうか…。

いや、待っている時間は長く感じるものだから、実際にはもっと短かったかもしれない。


「新着メール1通」の文字が輝いて見えた。


急いで開けてみる。


〔こんばんは。青い鳥です〕


よかった。メールはちゃんと届いたらしい。


〔無理なお願いをしてしまって、申し訳ありませんでした。

失礼だったんじゃないかと、あとから気になって。ごめんなさい。

まずは、メールをありがとうございます。

チョコレートも喜んでいただけてよかったです。

これも“クローバー”のマスターに預けてから、甘いもの嫌いだったらどうしよう~って思って(^_^;

私って結構そういうところ、あわてん坊なんです…〕


確かにそれは、あわてん坊なのかな?

でも、チョコレートは大好きだからマルだね。


〔…それに、あのグリーティングカードにメッセージを書いてから、たったいまメールが届くまで、本当はすごくドキドキしていました。

迷惑だったら無視して下さいって書いたけど、メールが来なかったらどうしよう!って思って。

だから、こんなにすぐにメールがもらえて嬉しいです。〕


すぐにメールしてよかった。

だけど、僕が今日“クローバー”に、もし行かなかったら…彼女は無視されたと思って悲しんだのかな?

〔…これからは、ブログの中だけでなく、もっと日常的な会話をメールできたらいいな、と思ってます〕

そうだね。今日こんなことがあった。あんなこともあったなんて、話を普通にしてみたいね。

〔まずは、少しだけ自己紹介をしますね。

名前はミドリです。今まで通り“青い鳥”でもかまいませんけど。

“ペガサス”さんの呼びやすいほうで呼んで下さいね。〕

ミドリ…やっぱり美鳥さんだ!

〔…できたら“ペガサス”さんの名前も教えてくれると嬉しいな。〕

さて、一馬だってはっきりと教えるか?

〔…なんか初めてのメールなのに、長くなってしまいました。夜中なのにね、ごめんなさい。

返信は時間のあるときでいいですよ。これからも、よろしくお願いしますね。 ~*midori*~〕


時間のある時に、といっても、お互いにパソコンのメールだから、たぶん、夜遅くに送るようになるのだろう。

僕は、携帯にも彼女のアドレスを登録した。昼休みにも送ってみるのも有りなのかな?

簡単に僕も自己紹介のメールだけ、返信してから寝ることにする。

〔では、僕も自己紹介を。名前はカズです。

山羊座のO型。趣味は音楽。聴くのも好きだけど、自分でもギターをやっています。

家族は妻と娘がふたり。歳は…上の娘が高校生だからね。そこから計算して想像して下さい。

まぁ、こんなところかな。おいおいメールのやり取りのなかで、お互いを知っていけたらいいね。

では、今日は遅くなっちゃったね。またメールします。おやすみなさい。           kazu〕

僕は送信してからも、しばらくパソコンの前でぼぉ~っとしていた。

“青い鳥”~美鳥さんとメールのやり取りをする。

この出逢いは、どんなふうに進展していくのだろう。


とりあえず、ただのブログ友達・顔見知りから、ちょっとは進展したのかな?

彼女が“僕のあの娘”なのかどうかは、わからないけれど…

そうだったとしても。

そうでなかったとしても。

新しい出逢いに感謝して…これからの日々を過ごして行きたい。

ほのかな恋の予感に、少年のように胸をときめかせながら…。

彼女と出逢って、人間として成長できればいいな。

僕と出逢って、彼女もまた、何か得るものを見つけてくれるといいな。


僕達ふたりの、物語の1頁目が、静かに始まろうとしていた。

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青い鳥のいる部屋 17

      5.贈り物




「こっち、こっち!」

美鳥と菜穂が“クローバー”の入り口の扉を開けると、すかさず見つけて、薫が声をかけてきた。

「久しぶり~!美鳥、元気そうじゃない?」

ふたりのために椅子の上から買い物の荷物をどかすと、薫は飲みかけの珈琲を飲み干した。

「菜穂ちゃんも、相変わらずピチピチだね!」

「薫さん、それってオヤジだよ~」

「あはは!そう?菜穂ちゃんも相変わらず元気そうで、おばちゃんは嬉しいよ!」

「薫さんって、やっぱり変!」

三人が席に落ち着くのを見計らって、オーナーがオーダーを取りに来る。

いつも通りに美鳥はモンブランとアッサムティー、菜穂はチョコレートケーキとアップルティーを頼むと、薫も二杯目のブレンドを頼む。

「あんたたち、相変わらず甘い物好きねぇ~」

「だって美味しいんだもん!」

「まぁ、菜穂ちゃんはまだ高校生だからいいけどさ。美鳥、あんまり食べ過ぎると太るよ」

そういう薫は、バレエを習っているせいかスリムだ。

「…そうかな」

「大丈夫だよ。美鳥さん、ちょっと食べたくらいじゃ変わんないって!」

「菜穂ちゃん、心配しないでも、この子自分の信念曲げないから。

自分でヤバイって思わなきゃ、きっと大好きな甘い物食べるの止めたりしないから、大丈夫よ~」

タイミングよく、マスターが注文の品を運んでくる。

「山田さん、うちのケーキは原材料に拘って手作りしてるからね。太らないよ」

「あら、聞こえちゃった?」

マスターに笑いかけてから、薫は美鳥に向き直ると

「だいぶ元気そうになったじゃない?やっぱり、美鳥は笑ってないとダメだよ」

と、言った。

「ごめんね。薫には心配かけっぱなしね」

「ともかく、元気そうでよかったわ」

「薫にB文化センターにひっぱってきてもらったおかげかな。菜穂ちゃんって可愛い友達も出来たし…」

「そりゃあ、よかった。でも、こないだ逢った時より、美鳥イキイキしてるよ。さては何か他にもいいことあったんじゃない?」

薫がいたずらっぽく笑いながら、美鳥の顔を覗きこむと、横から菜穂が嬉しそうに、美鳥の腕をツンツンとつつきながら

「あのねぇ、美鳥さんはブログ友達の“ペガサス”さんといい感じなの」

と言った。

「“ペガサス”さん?」

「菜穂ちゃん!」

「隠したってコメント読んでるとバレバレだもん」

「違うわよ…」

そう言う美鳥の声は小さく、顔は心なしか赤い。

「ふぅ~ん…“ペガサス”さんねぇ」

「やだ、薫。そんなんじゃないわよ」

あわてて否定する美鳥の顔を、にやにやと見つめて、薫は

「美鳥ったら、本当に顔に出るよねぇ」

と、楽しそうに笑った。

結局、このふたりには上手に隠し事なんて出来ないのだ。

( きっと“ペガサス”さん~カズさんと、メール交換してるなんてバレたら… )

きっと、ふたりの追及を逃れられないだろう。

( 絶対にバレないようにしないと… )

「で、どんな人なの?その“ペガサス”とやらは?」

「だから、そんなんじゃないってば」

「ブログ友達なんでしょ?大体、機械オンチの美鳥が、ブログなんてよく続いてるなぁ~って思ってたのよ」

「ブログ簡単だよ!薫さんも始めたらいいのに」

「いやぁ“ペガサス”さんには興味あるけどさ、私はいいわ。パソコンの前にじっと座ってるのは…仕事だけで充分だよ」

「やればいいのに…。薫さんなら面白いブログになると思うんだけどな」

いい、いい。と顔の前で小さく手を振りながら

「で、どんなオトコなの?」

と、また聞いてくる。

薫が美鳥のことを心配してくれているのは、よくわかるのだ。

( だけど、私はもう子供じゃないんだから… )

とも思う。

薫と一緒にいると、いつも美鳥は薫に頼ってしまう。

姉御肌で何でも器用にどんどんこなしてしまう薫は、不器用でおっとりした美鳥からみると、同い年なのに頼れるお姉さんみたいなところがあるのだ。

逆に薫にしてみれば、美鳥は頼りなげで危なっかしくて、私が守ってあげなきゃどうするの、という気持ちになるらしい。

こんな正反対な性格のふたりだけど、だからこそ、短大で初めて会ったときから今まで、変わることのない関係が続いているのかもしれない。

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青い鳥のいる部屋 18

「薫こそ、大地くんと美晴ちゃんは元気?」

「元気、元気!もうふたりとも元気過ぎて、ちょっとはおとなしくしててくれ~って感じよ」

「薫さん、子供いるんだ?いくつ?」

「小学校の5年生と3年生よ」

へぇ~、と菜穂が薫の顔をマジマジと見つめる。

「見えないでしょ?でも、年齢的には私たち、菜穂ちゃんのお母さんとそう変わらないからねぇ」

「え!?そうなの?」

知らなかったぁ~と薫と美鳥の顔を見比べながら

「うちのママよりずいぶん若いよ」

と、言った。


「また、クリスマスにプレゼント持っていくわね」

「もうふたりとも、美鳥がくるの楽しみにしてるから。だけど、うちなんかに来て他に予定ないの?」

「うん…」


( カズさんは家族で過ごすって言ってたし…24日がお誕生日だっけ?ホントは何かプレゼントしたいけど…無理だろうな )


「じゃあ、24日はうちのクリスマスパーティーでお子様たちの相手してもらって、25日は美鳥のバースデーパーティーしてあげるよ」

「へぇ~、美鳥さんクリスマスが誕生日なんだ」

「うん。だから子供の頃はいつもクリスマスと誕生日のプレゼントが一緒だったわ」


本当に小さい頃は、クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントが別々に欲しくて、なんでサンタさんは美鳥の誕生日を知ってるのかしら?って思ったっけ。そんなふうに、子供の頃のことが懐かしく思い出される。

「じゃあ、菜穂も美鳥さんのお祝い一緒にしたいなぁ」

菜穂が目をキラキラさせて言う。何か思い付いたらしい。

「菜穂と薫さんが素敵なバースデーパーティーを企画してあげるね!ねっ!」

「ありがとう」


今年の誕生日は、淋しい想いをしなくてすむんだわ、と思うと、美鳥の顔も少し明るくなった。

「じゃあ、まず場所は…マスター!25日ってお店貸し切りにできる?」

カウンターの中で、さりげなく3人の会話を耳に留めていたらしいマスターが、壁に掛かっているカレンダーを見ながら

「24日は忙しいけど、25日はそうでもないな。でも、3人だけじゃ貸し切りにはならないぞ」

と、言った。

「大丈夫だよ!由貴子先生とか誘うし…」


( ちょっと待って!まさか、菜穂ちゃん、カズさんも誘う気じゃあ!? )


美鳥が一馬とメールのやり取りをしていることは、誰にも内緒だ。ましてや、美鳥が一馬に対して抱いている気持ちは…。当事者である自分自身にも、まだよく分かっていないのだから。


“ペガサス”が一馬で、“青い鳥”が美鳥だということに、最初はお互いに気付いていなかった。

ただ、アドレスを教え合うキッカケになった、あのクローバーの柄のノートから、一馬の方は、何となく美鳥が“青い鳥”なんじゃないか?とは思っていたらしい。

そのことを、何回かメールを交換したあとで打ち明けられて、美鳥は本当に息が止まるかと思った。


( そりゃあ、カズさんが“ペガサス”さんだったらいいな、って思ったりもしたけど… )

まさか、本当にそうだったなんて…神様のいたずらかしら。

そう思って、美鳥は不思議な運命の巡り合わせのようなものを感じた。


( それに、あの“夢の人”のこと )


笑われるのを覚悟で、いつも見る夢の話を打ち明けた。


すると、笑うどころか、一馬はこう言ったのだ。

〔その“夢”は小さい頃からよく見るの?

だとしたら…僕と同じだ。僕も同じような“夢”を見るよ〕


一馬が調子よく、話を作って合わせるような人ではないことは、よく分かっていた。

〔僕達って星座も血液型も一緒なんだね。誕生日なんて2年と1日違いだし。感じ方や考え方が似てるんだなぁ。

ミドリの考えてることは大体わかるよ〕


本当に、一馬には美鳥の考えてることが分かっている気がする。

だからこそきっと、ふたりきりで逢おうなんて言ってこないのだ。


〔“クローバー”でよく顔を合わせるし、急いでふたりきりで逢わなくても、時間が流れて行くなかで、

そういうことも自然にあるのかもしれないからね。でも、いつか、ミドリには、僕のギターと歌を聞いてもらいたいな〕

今のところ、美鳥が一馬のギターと歌を聴く機会はやって来ていない。

( その機会を、何も知らずに菜穂ちゃんが作ってくれちゃうのかしら )

「あと、カズさんと加藤ちゃんも誘おう!楽しみだね~!」

菜穂が天使のような笑顔で微笑んだ。

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青い鳥のいる部屋 19

結局、菜穂が声をかけて、6人が集まることになった。

6人だけじゃ、お店を貸し切りにするのは悪いと、菜穂以外の全員が思ったけれど、マスターは、夜ならお客様も少ないし、常連のメンバーばかりだから…と言って、心よく貸し切りにしてくれた。

街の中はクリスマス一色だ。街路樹はイルミネーションに彩られ、街中にクリスマスソングが流れている。

幸せそうなカップルや家族連れが、クリスマスの予定を楽しそうに話している。

( そうだ。明日のカズさんのお誕生日に、“おめでとうメール”を送ろう。そのくらいは、してもいいよね?
もし家族で楽しく過ごしていたとしても…。それくらいは送っても、バチはあたらないよね? )

明日の朝いちばんで“おめでとうメール”を送ろう。

最初はお互いにパソコンでメールを交換していたが、一馬が会社の昼休みに、携帯から美鳥にメールを送ったのをキッカケに、美鳥からも携帯メールを送って、今では毎朝のようにメールするようになった。

〔おはよう!いってらっしゃい〕

から始まり、昼休みには

〔今日は忙しいよ〕

〔今日は、こんなことがあったの…〕


帰りの電車でも

〔終わったよ~!〕

〔お疲れ様!〕

と、日常的なやり取りが続いていた。

そんなやり取りのなかで、美鳥は一馬のことを、一馬は美鳥のことを少しずつ知って、ますますお互いに惹かれていった。


〔一馬さん、お誕生日おめでとうございます!

きっと今日は家族で楽しいひとときを過ごされているのでしょうね!

直接にお祝いのプレゼントを渡すことは出来ませんが、ご家族の他にも、
一馬さんのお誕生日を影からこっそりお祝いしてるってこと気がついてね☆
また、来年もよろしくお願いします。
*~*midori*~* 〕



朝起きて、仕事に行く支度をしている最中に、一馬はメールを受け取った。

開けてみると、美鳥からの誕生日のお祝いメールだ。

家族以外から、誕生日のお祝いを言われるなんてことは、ここ数年なかったから、メールを読んだ瞬間、嬉しくて顔が自然にほころぶのが、自分でもよくわかった。


直接にプレゼントを貰わなくても、このお祝いメールを贈ってくれた美鳥の気持ちがとても嬉しかった。

( 覚えててくれたんだ… )

もっとも、美鳥自身の誕生日が25日、つまり明日だから、一度聞いたら忘れないだろう。

( 明日は美鳥ちゃんの誕生日か。まさか誕生日のパーティーに招ばれちゃうなんて、思ってもみなかったけどな )

菜穂から、なかば当然のように、明日の夜を開けておくように言われて、それがクリスマスパーティーではなく美鳥の誕生日のパーティーだと聞いたとき、一瞬、美鳥とのメールやブログでのことを菜穂が知っているのかと、
一馬はドキッとしたのだ。
でも、自分だけでなく純一も招ばれていると知って、そうではないことがわかった。

誕生日プレゼントは、菜穂がお花とケーキ~クローバーの手作りケーキをホールで、頼んだので、各自で用意しなくてもいいよ、という。

( 本当はこの機会にドサクサに紛れて、プレゼントしたかったんだけどな。でも… )

こっそり用意していって、こっそり渡そうかな。

美鳥の性格だと、アクセサリーやブランドものよりも、もっとさりげないものの方が、喜びそうだ。

( よし。そうしよう… )

そのまえに…こっちからもメールを贈ろう。いろいろな楽しみを思い付いて、ひとりで美鳥の驚く顔、嬉しそうな顔が頭に浮かんで来る。

( 明日、美鳥ちゃんの顔を見るのが楽しみだな )




その夜遅くに、美鳥の携帯に一馬からメールが届いた。

いつものメールと違う。グリーティングメールだ。

本文にかかれているURLをクリックすると

『Merry Christmas!
ミドリの元にちいさな幸せをプレゼントに来ました☆
このXmasはきっとふたりとも忘れられない日になるね☆
kazu☆』

クリスマスツリーに飾るような赤い長靴から、可愛らしいネコが飛び出したり隠れたりしている。

 
その可愛らしい動きと一馬からの心のこもったメッセージを読んで

( カズさん、お誕生日のおめでとうメール喜んでくれたのかな )

と、ひとりでにっこりしてしまう美鳥だった。

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青い鳥のいる部屋 20

朝から空はきれいに澄みきっていた。

( 今日はホワイトクリスマスには、なりそうもないな… )

今夜のパーティーのことを思うと、心臓がドキドキしてくる。

予定では、夕方6時頃から喫茶店“クローバー”を3時間くらい貸し切りにしてもらうようにお願いしていた。

菜穂がバースデーケーキをオーダーしていたので、美鳥はオーナーの佐伯さんに、実は川相さんも24日がお誕生日なんだって、ということを話して、ふたりのお祝いにしてもらうようにお願いした。

このことは、菜穂も薫も知らない。

夕方までまだ、だいぶ間があるので、美鳥は少し街中を散歩しながら、時間をつぶすことにした。

お休みの日は、大抵午前中に家のことを済ませて、午後はゆっくりと自分の時間を過ごすことにしている。

今日も午前中に用事を済ませて、お昼から市の図書館に行って、何冊か気になる本を借りてきた。

いったん家に帰って、着替えて出てきたのだ。

美鳥の住む街は、文化センターや“クローバー”のあるB市よりひとまわりくらい小さな城下町だ。

駅前もさほど拓けておらず、目新しいものは何もない。

けれど、生活に不便を感じるほどではないし、のんびりしたこの街を、美鳥はかなり気に入っている。

だから、お休みの日に街中をブラブラと、のんびりと歩いたりするのが、美鳥のストレス解消にもなっている。

城跡のお堀端まで歩いて来た時に、美鳥の携帯に着信があった。

メールだ。

何気なく開けてみると、また、一馬からのグリーティングメールだった。

ゆうべももらったばかりなのに…と思いながら開けてみると、

『Happy Birthday!美鳥☆

美鳥が今日という日に誕生日を迎えることに僕は感謝するよ。

こうしてふたり出逢い、続けて誕生日を祝うなんて世界中探してもそうはないだろうね。

今年の誕生日が僕にとって特別なものだったように、美鳥にとっても特別な誕生日だといいな。

kazu』

( カズさん… )

今日逢うのだけれど、それとは別にお祝いの言葉を伝えてくれる。

それも…“特別な誕生日”

一馬の言葉は、美鳥の心の中に、すぅ~っと入ってきて、暖かい気持ちにさせてくれる。

今まで出逢った誰よりも、同じ気持ち同じ想いを感じさせてくれる。

一馬とメールを交わすたびに、どんどん一馬に惹かれていく。

その気持ちを美鳥は止めることが出来ずにいた。

( これって恋なのかしら…? )

ひとりで想いを抱き締める。



すっかりクリスマスに飾り付けられた店内に、美鳥が重い扉を開けて足を踏み入れると、すでに薫と菜穂と由貴子が来ていて、マスターやバイトの原田さんと一緒に、誕生日パーティー仕様に模様替えをしていた。

「あ、美鳥さん!ちょっと待っててね!すぐに仕度できるから…」

菜穂が飛んで来て、美鳥を入口近くのテーブル席に座らせる。

「私も手伝うわ」

「ダメダメ!今日は美鳥さんが主役なんだから!おとなしく座っててください!」

仕方なくおとなしく椅子に座って、みんなの動きを見ている、と

カランカラン

と、入口の扉が開いた。

「遅れちゃったかな?」

一馬と純一が入ってきた。ふたりともギターケースを抱えている。

一馬は美鳥と目が合うと、にっこりと微笑んで

「おめでとう」

と言った。

「あ~!遅いよ~!じゃあ、加藤ちゃんはこっちきて手伝って。カズさん、美鳥さんの相手しててね」

「俺も手伝うよ」

「ダメ!カズさんはおとなしく座って、美鳥さんと待ってて下さい!」

また、菜穂が飛んで来て、一馬を美鳥の隣りの椅子に無理やり座らせた。

「え~、俺が山咲さんの相手してようか?」

「加藤ちゃんはこっちなの!…昨日カズさん誕生日だったってなんで先に教えてくんないのよ~」

菜穂は小さな声で言ったつもりだったようだが、しっかり声は聞こえている。

「えっ!そうだったの?」

「美鳥ちゃんが話したの?」

他の人には聞こえないくらいの小さな声で、一馬が聞いてきた。

「マスターにだけ…」

「そうか…」

「マスターが教えてくれたからよかったけど、準備もあるんだからね!」

「だって、俺、知らなかったんだよ~」

「まぁまぁ、菜穂ちゃん、あんまり大きい声で言ったら、聞こえちゃうからね」

マスターが、一馬と美鳥に軽くウィンクして

「早く終わらせちゃおう!」

と、話をまとめた。

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青い鳥のいる部屋 21

誕生日パーティーは気のおけない仲間たちだけで、楽しく進んだ。

ひとりで誕生日を過ごすことの多かった美鳥には、誕生日を祝ってくれる人がいるというだけで、嬉しかった。


菜穂が用意してくれた花束も、マスターの美味しい料理(ここでケーキ以外のものが食べられることを、美鳥は初めて知った)も、嬉しかったが、一馬がギターを取り出して、美鳥に

「何か歌ってあげるよ。何がいい?」

と、聞いてくれたときには、周りが見えないくらいドキドキしてしまった。


さんざん考えて、美鳥がリクエストしたのは…


『夜空ノムコウ』


初めて聴く一馬の歌声は、耳に優しく、美鳥の胸の奥に暖かく響いていた。

周りのみんなは一馬に注目していたから、きっと気付かれてはいないと思う。


美鳥は瞳に浮かんできた涙を、こっそりと指先で拭った。

一馬が歌いながら、美鳥ににっこりと微笑んでくれる。


パーティーがお開きになって、みんなが店から出ると、続いて店を出ようとした美鳥を、一馬が呼び止めた。

「美鳥ちゃん、ちょっといい?」

一馬がこっそりと、美鳥の手のひらに、持っていた袋を渡した。

「大したものじゃないから。俺のお気に入りの曲を集めてCDを作ったんだ。よかったら聴いてよ」

思いがけない贈り物に、美鳥は驚いて一馬の顔を見つめているしか出来ない。

「私、何にも用意してないわ」

「もうもらったよ。美鳥ちゃんの驚く顔が見たかったからね。それに…笑顔もね」

( カズさんの笑顔こそ、私には最高の贈り物だわ )

「じゃあ、早くしまって。菜穂ちゃんにでも見つかるとうるさいからね」

美鳥がバックにCDの袋をしまうのと同時に

「美鳥さぁん。カラオケ行こうよぅ」

と、菜穂がジャレついてきた。



そのあとは、菜穂に付き合って、夜遅くまでみんなでカラオケをした。

一馬や純一が上手いのは、なんとなく想像がついていたが、由貴子もとてもきれいな声で、上手に歌っていた。

美鳥は、他の人の歌を聴いているだけでいい、と思ったのだけれど、せっかく来たのだから、せめて一曲くらい歌ってよ、と言われて唯一歌える曲を歌った。


自信のなさが声に出てしまって、自然に声が小さくなる。

何とか歌い終わって、マイクを菜穂に渡すと(ほとんどずっと、菜穂と純一が代わりばんこに歌っていた)

一馬が、美鳥の隣りの席に移動してきた。

「お疲れ様。よかったよ」

「恥ずかしいわ」

「そんなことないよ。慣れてないから、恥ずかしいだけだよ。慣れてくれば、もう少し声も出てくるようになるさ」

このまま、慣れなくてもいい、と思ったのだけれど

「歌は嫌い?嫌いじゃないでしょ?…もっと楽しまなきゃ!音を楽しむのが、音楽だからね」

( それは、カズさんみたいに上手に歌えればいいけど… )

美鳥が言葉にださずに、口のなかで呟いたことがわかったのか

「上手い下手じゃなくてさ。どれだけその歌の中に、気持ちがこもってるか、だと俺は思うね」

確かに、菜穂のように、周りにどう聴こえるかを考えずに、純粋に歌うことを楽しんでいるのが、わかるから

聴いていても気持ちがいい。

「歌って性格が出るのね…」

「うん。だから、もっと歌うことを楽しんだ方がいいよ」



一馬と話していると、今まで気付かなかった世界が広がっていくような…そんな気がしていた。

「今年はいろんなことがあったな。でも、最高のクリスマスと誕生日だったよ」

「私も…」

来年の誕生日はどうしているのだろうか。ふと、そんな考えが浮かんで消えた。

「お正月はどうしているの?」

「たぶん、そんなにお休みもないし、家にいると思います。元日にもしかしたら実家に行くかもしれないけど…」

「じゃあ、一緒だね。うちはいつも三が日はお客さんがくるから、どこにも出かけられないんだ。

また、来年も美鳥ちゃんの詩を読むの楽しみにしてるからね」


一馬が家族とお正月を過ごす姿が、頭をよぎって、美鳥は少しだけ、取り残されたような気分になった。

けれど、それは最初からわかっていることだ。

( カズさんとは、ただの友達なんだから…淋しく思うほうがどうかしてるのよ )


自分に言い聞かせるように、美鳥は心のなかで呟いた。

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幸福の花園~青い鳥のいる部屋・番外編

「ただいまぁ!」

誰も返事をする人がいないことがわかっていても、菜穂は家の鍵を開けると、誰もいない部屋に向かって声をかけてしまう。

菜穂が小さい頃から両親は共働きをしているので、一人っ子の菜穂は家に帰るといつもひとりだ。

それでも、いつものことだから、もうすっかり慣れてしまったし、学校に行けばたくさん友達もいるから、今は寂しいと思うこともない。

 
自分の部屋で制服から普段着に着替えると、キッチンに行って、まずお米を研いで炊飯器にセットする。

小学生のころから、これは菜穂が毎日する。

おかずはお母さんが仕事帰りに食材を買ってきて、帰ってきてから作る。

たまには、菜穂も一緒に手伝って作る時もあるし、お母さんが残業で遅くなる時は、デパートでお惣菜を買ってくることもある。

 
炊飯器にセットし終わると、洗濯物を取り込んで、ひとつひとつ皺にならないように畳んで、家族それぞれに山を作った。

お父さんの洗濯物の山。

お母さんの洗濯物の山。

菜穂の洗濯物の山。

自分の分をタンスの引き出しにしまうと、机の脇のフリーボックスからクリアケースと今日学校に持っていったお気に入りの布バックを持ってリビングのソファーに座った。

 
クリアケースの中には、明日のB文化センターの文章の講座に持っていくノートや辞書など…一式が入っている。

布バックから小さな手帳を取り出して、しばらくにらめっこしていた。

シャーペンの先~尖っていないほう~でこめかみ辺りをコツコツたたく。

気がついていないけど、考え事をする時の菜穂のクセだ。

お父さんも同じクセがあって、ふたりでリビングに並んで別のことをしていても、気がつくと同じポーズをとっていることがあって、お母さんはその同じポーズのふたりを見てこっそり笑っている。

 
この小さな手帳には、思いついた言葉を思いついた通りにとにかく書き込んでいく。

いつどこで思いつくか分からないから、たいていいつも持って歩いている。

今日も日本史の授業中に突然とてもいい感じのフレーズを思いついて、先生の話を右の耳で聞きながら、目は書き留めた言葉を繰り返し読んで、声にならない言葉を左の耳で聴いていた。



元々、菜穂がポエムを書き始めたのは、お母さんの影響だ。

お母さんは今でも、家計簿の隅に、その日あったことや、思ったことなんかを書き留めている。

やっぱり菜穂くらいの年の頃には、好きな人への気持ちなんかをポエムにして、書き留めていたらしい。

前のアパートから今のマンションに引っ越すときに、部屋の片付けをしていて、偶然その頃に書いていたノートを見つけたのだ。

 
最初は真似をして日記の中に、ちょこちょこと書いていたけれど、まだ好きな人もいない菜穂には、恋への憧れみたいな気持ちしか書けない。

どうやって自分の気持ちを言葉にしたらいいのかわからなくて、駅前のB文化センターで見つけた文章の講座に通ってみることにした。

本来人見知りもしない明るい性格で、誰にでも子犬のようになついてしまうので、講座やB文化センターで知り合った人ともすぐに仲良くなってしまった。

 
菜穂はひとりっこだから、一緒にブログを始めた美鳥さんなんかは、お姉ちゃんがいたら、こんな感じかな~と思って大好きなのだ。

年は離れているけれど、菜穂の話をいつもにこにこしながら聞いてくれて、一緒においしいケーキなんて食べにいく話をしているときは、菜穂より嬉しそうに瞳をキラキラさせていて、可愛いなぁ~なんて思ってしまう。

最近はブログの中で、どうも『ペガサスさん』というロマンチックな詩を書く人と、いい感じみたいだ。

ふたりのやりとりを読んでいると、菜穂は自分が恋をしているみたいな気分になって、ドキドキしてしまう。

けど、とうのふたりは自分たちの気持ちを気づかれているなんて、思ってもいないみたい。

 
本当の恋がどんなものなのか、菜穂にはまだわからないけど…美鳥さんを見ていて、女の人は恋をすると綺麗になるってホントだなぁって思う。

美鳥さんが幸せになってくれたら、その時に菜穂は言うつもりだ。

「ずっと応援してたよ。美鳥さんの素敵な恋。菜穂も美鳥さんみたいに素敵な人に出逢って、素敵な恋をしたいな」

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青い鳥のいる部屋 22

6.待ち合わせ





年が明けて、新しい日常がやってきた。


一馬は仕事で必要な資格をとるために、家にいる時も勉強をしていたし、美鳥も新しい部署に異動になって、新しい仕事を覚えるのに日々追われていた。

そんななかで、毎日のメールのやり取りや、ブログを通してのやり取りは、ふたりとも唯一リラックスできる、自分の時間だった。

クリスマスの美鳥のバースデーパーティー以来、特に変わった出来事もなく日々は過ぎて行くように思えた。

( このまま、時間だけが過ぎて行くのかな… )

やっと元気になってきたとはいっても、美鳥はときおり無性に淋しくなる時がある。

特に薫や菜穂と昼間会ったりした日には、夜ひとりぼっちの部屋にいるのが、耐えられないくらいに淋しくなって、訳もなく涙があふれてきたりする。

そんな夜は、思いきり切ない音楽を聴いて、我慢しないで思いきり泣くのだ。

ひとしきり泣くと、気持ちが落ち着いてきて、また明日も頑張ろうという気持ちになる。

寒い冬の朝は、空が澄み渡っていて、遠くの山並みがくっきりと綺麗に見える。

本当に天気のいい日には、富士山がはっきりと見えて、その雄大で優美な姿を目にするたびに、美鳥は気持ちがキリリと引き締まる気がする。

お正月気分が終わったと思ったら、街のあちらこちらで今度は、バレンタインのチョコレートを売っている姿をよく見掛けるようになった。

この時期だけの特設会場のようなものまで出来ていて、どこも女の子でいっぱいだ。

結婚していた頃には、毎年美鳥もこの人込みの中に入って、どのチョコレートがいいかな?…なんて選んでいた。

隆と別れてからは、まるでバレンタインとは縁がなかった。

( 今年はどうしようかなぁ? )

と、チョコレート売り場に久しぶりに足を止めながらぼんやりと思うのは、一馬がチョコレートが好きだというのを、覚えていたからだ。

( カズさんにチョコをあげたいな。でも、バレンタインのチョコは迷惑かしら。あげるにしても、今年は火曜日だし。

土曜日ならB文化センターで会うかもしれないけど…。

でも、カズさんにだけあげると加藤さんが一緒にいたら、まずいかな? )

以前のように“クローバー”のオーナーにお願いすることもできるが、あの時はお互いに顔を知らなかったのだから、今度とは状況が違う。

どうやって渡すか、そもそも渡していいものかもわからない。
 
けれど、美鳥は特設会場の人込みの中に入って、美味しそうなチョコレートを手に取り、レジに並ぶ女の子達の列に加わった。



バレンタインが近付くにつれて、男性連中がソワソワと落ち着かなくなってくるのは、どこの職場でも同じだ。

一馬が去年までいた職場は、わりと女の子の人数も多かったから( 義理とはいえ )ある程度の数のチョコレートをもらって家に持って帰っていた。

それをちょっと自慢げに娘たちや妻に見せながら、一人で食べるのが楽しみでもあった。

所属の部署が変わった今年は、男ばかりの職場で、女の子はほとんどいないから、今年はチョコレートをあまり期待出来ないかもしれない。

恭子やふたりの娘から貰えるかどうかは、どうもあやしい気がする。

( そういえば、去年まではどうだったっけ? )

と、考えたけれど、はっきりとした記憶がない。

自分から催促するのもおかしいし、今年は一個も貰えないなんて可能性もあるかもしれない。

まぁ、学生や新入社員じゃあないのだから、チョコレートの数が多かろうが少なかろうが、大騒ぎすることもないだろう。

こんなことを考えてしまうのも

( 美鳥ちゃんはチョコをくれたりするかなぁ )

なんて、気になっているからだ。

以前に、ノートを見つけたお礼にと貰ったチョコレートはおいしかった。

( いや、べつにチョコレートが食べたいわけじゃない )

美鳥の気持ちがどうなのか、いまひとつはっきりと一馬にはわからない。

( まぁ、きっとただの友達なんだろうな… )

そう思うと少し淋しい気がする。

かといって、一馬自身の気持ちがどうなのか、それすらも一馬にはよくわからない。

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青い鳥のいる部屋 23

美鳥こそ、一馬が夢に見るあの娘だろうと思う。

美鳥に出逢うまでは、夢に見るあの娘が実際にいるなんて、本当のところ思っていなかった。

繰り返し夢に見るから、きっとどこかにいるのかな?いたらいいな…と思っていただけで、実際に出逢えるなんて思っていなかったのだ。

美鳥から、彼女が見る夢の話を聞かされてひどく驚いた。

まさか同じような夢を見ている娘がいるなんて、おおげさかもしれないけれど、運命を感じた。

例の夢は最近になっても時々見ている。

今までは夢の彼女の顔は、はっきりとは見えていなかった。

が、その話を美鳥から聞いてからは、夢の中の彼女の顔がはっきりと見える。

美鳥だった。


( まいったなぁ… )

と、一馬は思う。

運命を意識してからは、余計に美鳥の存在が気になる。

( まずいよなぁ。俺は既婚者だぞ。本気になったら…まずいよなぁ )

恭子に対して特別な不満があるわけじゃない。

今もひとりの女性として、深く愛してるか?といえば、家族としての愛情は感じている。

でも、20年近く一緒にいるのだ。

若い頃のような情熱的な愛情があるわけじゃない。

それは、何も一馬が不誠実なわけではなく、どこの家庭でもきっと似たようなものだろう。

きっと恭子の一馬に対する想いも、同じようなものに違いない。

家族としての愛情は持っていても、ひとりの男性としての興味は、きっともうないだろう。

恭子の中では“川相一馬”は“お父さん”なのだ。

今ならまだ、一馬の中での美鳥は、ちょっと気になる存在なだけだ。

まだ、気持ちにブレーキをかけられる。

このまま、気の合う友達の一人として、メールのやり取りをしたり、ブログでお互いの詩にコメントを入れたり、たまに菜穂や純一を交えてお茶を飲んだり、他愛もない話に一緒に笑いあったりするだけですむ。

ふたりきりで逢ったりしようとしなければ。


以前、美鳥とのメールのやり取りのなかで、一馬は書いたことがある。

急いでふたりきりで逢ったりしなくても、時間の流れの中で、自然にそういった機会が巡ってくるだろう、と。

もしかしたら、その時にも無意識のうちに、自分の心にブレーキをかけていたのか。

きっと、ふたりきりで逢ってしまったりしたら、気持ちが走り出してしまうと、感じていたのか。


( いや、俺たちは気の合う友達だ )

大丈夫だ。と、自分の心に言い聞かせる。

そして、また…

( まいったなぁ…俺はいったい何を考えているんだよ。美鳥ちゃんがチョコをくれたとしても、いきなりふたりきりで逢うシチュエーションになるとは限らないじゃないか。
そもそも、チョコをくれるって保証も何もないんだぞ )

それでも、また考えてしまう。

( もし…もし、チョコをくれたら…お礼に映画くらい誘っても、おかしくはないよな )

そして、やっぱり自分は美鳥とふたりきりで逢えるきっかけを探していたのじゃないか、とも思う。


ふたりきりで逢ってみたい。

ふたりきりでいる時の美鳥はどんな表情を見せてくれるのだろう。

ふたりきりで逢ったからといって、いきなり友達以上の関係になるとは限らない。

今までより、ほんのもう少しだけ、親しくなるだけだろう。

一馬が心配しているようなことは、何も起こらないかもしれない。

一馬が考えているように、美鳥はまるで考えもしないかもしれない。

美鳥の側からすれば、一馬は恋愛の対象なんかじゃないかもしれない。

もっと美鳥に相応しい、独身の男がどこかにいて、一馬は悩むだけ馬鹿なのかもしれない。

( 今度は考え方がえらく後向きだぞ )

結局は考えるだけ無駄なのだ。

この歳になって、こんな想いがまだ胸の奥にあったことに、一馬は少しとまどっていた。

いくつになっても、バレンタインの前には、男たちは落ち着かなくなってしまうものなのか。


バレンタインデー、2月14日まで…あと2週間ちょっと。

街中は、恋する女の子達で、溢れかえっている。

そしてまた、期待と不安に揺れ動く心にとまどう、男たちも。

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青い鳥のいる部屋 24

その日もいつものように、朝の職場に向かう通勤の時間に、一馬の携帯に美鳥からメールが入った。

〔 おはよう♪カズさん。

今日は寒いけど、いいお天気みたいですね!

朝から富士山がはっきりと見えて、今日もいい一日になりそうです。

ところで、来週はB文化センターに行きますか?

ちょっとでも時間があったらクローバーで逢えると嬉しいんだけど、どうですか? 〕

美鳥からこんなお誘いのメールが入るのは、初めてだったかもしれない。

ただ、来週の土曜日はめずらしく文章の講座のない週で、一馬は娘たちの買い物に付き合って、車を出す約束をしていた。

〔 ごめん。来週の土曜日は娘たちの買い物に付き合う約束をしちゃったんだ。他の日じゃダメかな? 〕

一馬が返信すると、すぐに美鳥からまたメールが届いた。

〔 わかりました。急に言ってごめんなさい。他の日、平日の夜でも大丈夫ですか?

あまり遅くはならないと思いますけど。出来れば14日の火曜日、どうでしょう? 〕

〔 14日の火曜日だね?大丈夫です。

職場から直接行くから、着くのは7時半か8時くらいになっちゃうけど、いいかな~? 〕

〔 はい。私も同じくらいになると思います。では、14日にクローバーで 〕



14日がバレンタインだということに、一馬が気がついたのは前日の夜だった。

あれだけ意識してあれこれ考えていたのに…仕事の忙しさですっかり忘れていたのだ。

夕食が終わったあとに、家族でテレビのバラエティー番組を見ていて、そういえば…と、急に思い出した。

番組の中でアイドルの女の子が、いろんな種類のチョコレートを試食して、オススメはこれ!と言っていた。

詩織が奏恵の顔をのぞき込んで

「今年はいくつチョコ配るの?」

と聞いている。

最近の子は、高校生だろうが、中学生だろうがチョコを“配る”らしい。

昔は好きな子にだけチョコを渡していたのに。

男も女もドキドキしたものだ。

「今年から義理チョコは止めるんだ」

「へぇ~。じゃあ、健ちゃんだけ?」

健ちゃんは奏恵の幼なじみだ。

「お父さんにはくれないのか?」

くれるはずもないと思いながらも、聞いてみる。

「だから、義理チョコはなしだって言ったでしょ!」

つれない一言だ。

「お姉ちゃんは?」

「うん、私も。だから今年は誰にもあげる予定ないなぁ」

一馬がわざとらしく溜め息をつくと

「ママから貰えるじゃん」

「それで充分でしょ?」

「あら?ママも今年は義理チョコはないわよ」

笑って恭子が話しに加わった。

「え~、ママが今までパパにあげてたのって、義理チョコだったの?」

「そうよ~。ママはパパがどうしても結婚してくれって言うから、ボランティアで結婚してあげたんだから」

ひどい言われようである。

「いいょ。他にもチョコくれる人ならいるから」

「どうせ義理チョコでしょ?その人たちだって、今年から本命だけにするかもょ」

詩織が笑いながら言った。


(菜穂ちゃんあたりが、義理チョコくれないかな。詩織や奏恵みたいに義理チョコ廃止かな?)

美鳥はチョコレートを用意しているのだろうか?

あえて14日に逢いたいと言ってきたのは、そういうことなのか?

その日にもともと、会う機会があるのならば、義理チョコをついでにくれるということも考えられるが…。

期待しないでおこう。

そう思いながらも、かすかに期待している自分に、一馬は苦笑していた。



14日、会社に出勤すると、庶務の女の子が、課長に

「みんなで食べて下さいね。部の女子従業員一同からです」

と、大きなチョコレートの詰め合わせの箱を渡しにきた。

義理チョコ廃止にならなかっただけでも、マシである。

まあ、こんな義務的なことなら、廃止にしてもらってもいいのかもしれない。

結局、会社ではこの“みんなに一個”の義理チョコだけで、個人的に義理チョコを持ってきてくれる人もいなかった。


仕事も先週あたりでやっと落ち着いてきたので、終業時間には余裕で翌日の下準備も済ませることが出来た。

一馬がB駅近くの駐車場に車を停めて“クローバー”の重い扉を開けると、もうすでに美鳥は来ていて、いつも一馬の座っている店の奥の席で紅茶を飲んでいた。

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青い鳥のいる部屋 25

「ごめん。遅くなっちゃったかな。ちょっと道が想定外に混んでて。ごめんね」

「いぇ。私も電車が遅れて、今きたところです」

そう言う美鳥の前に置かれたティーカップからは、もう湯気はたっていないようだった。

「呼び出したりしちゃって、ごめんなさいね」

「いや、気にしないで。でも、文化センターの帰り以外でクローバーに来るのは久しぶりだな」

美鳥の誕生日以来だ、と思いながら一馬は美鳥の前の席に腰を下ろした。

マスターにいつものように珈琲を注文して、改めて美鳥と顔を合わせる。

今日の美鳥は、会社帰りのせいか、土曜日に会う時と着ている服も違い少し大人っぽく見える。

普段着が実際の歳より若く感じるくらいだから、今日の美鳥が年相応なのかもしれない。

そういう一馬の方もスーツこそ着ていないものの、仕事帰りのせいで土曜日とは着ている服が違う。

「久しぶりだよね。元気だった?」

「えぇ。メールは毎日のようにしてても、顔を合わせるのは久しぶりですものね」

美鳥がなかなか、話を切り出さないので一馬が話題をフルと、おっとりと美鳥が応える。

「どう?新しい部署には、もう慣れた?通勤が大変なんじゃない?」

「やっとだいぶ慣れました」

「そう?座れるの?俺は自動車通勤だから、満員電車って乗ったことないから、よくわからないけど。

疲れるんじゃない?」

一馬はこういう気の配り方が自然に出来る人だなぁ、と美鳥は思う。

そういうところが隆とは違う。

隆は自分のことばかりだった。美鳥のことを気遣ってくれることもなかった。

「えぇ。遠いぶん田舎だから乗客も少ないし、空いてるから大丈夫。カズさんはお勉強はかどってます?」

「うん。もうすぐ試験なんだ。まぁ、やるだけのことはやってるからね」

資格をとる話は以前のメールで一度話しただけなのに、美鳥が覚えていたことに少し驚きながら、そういえば、家族はあまり気にしてくれていないな、と思った。

「大丈夫でしょ。なるようになるさ」

「あのね。なんか面と向かってだと、ちょっと恥ずかしいんだけど…。貰ってくれます?」

美鳥が見覚えのある小さな紙袋を、そっとテーブルの上に置いた。

「俺に?くれるの?」

「こんなことのために呼び出したりしちゃってごめんなさい。

カズさん、チョコレート好きって言ってたし、いつもお世話になってるから…。

それとも、持って帰ったら奥さんに怒られちゃうかしら?」

「そんなことないよ。ありがとう。今年は義理チョコ廃止だって娘たちにも言われたから、一個もないと思ってたから…。嬉しいよ」

たとえ義理チョコだったとしても…

その言葉を胸の中に呑み込んで、美鳥からチョコレートを受け取った。

「よかった、喜んでくれて。最近っていろんな種類のチョコがあるんですね。たくさんあって迷っちゃった」

「いくつか買ったの?」

「えぇ…」

そうか、俺だけじゃないんだ。

理由もないのに、美鳥が自分だけにチョコレートを渡してくれたと思っていて、一馬は自意識過剰かな?と、苦笑した。

「いろいろ食べ比べて、一番美味しかったのにしました」

「あれ?他の人にもあげたんじゃないの?」

「やだなぁ。カズさんだけですょ。…あ、あと父にもあげましたけどね」

可笑しそうに笑う美鳥の笑顔を見て、こんなふうに笑うんだ、と一馬は美鳥の顔を改めて見つめ直した。

実をいうと、さっきまで一馬は恥ずかしくて美鳥の顔をまともに見ていなかった。

今までも一緒にお茶を飲んだり、話をしたりしたことはあるが、大抵、菜穂か純一が一緒で、ふたりきりということはなかった。
 
ふたりきりで面と向かって、話をしていると、美鳥の視線が一馬を捉えて離さないのが、とても照れくさい。

そんなに見つめないでくれ、とも言い出せずに、一馬は意味もなく店の壁に飾ってある絵をみたり、美鳥の手元を見たりしていた。

「じゃあ、あまり遅くなると悪いですから…そろそろ帰ります?」

一馬が珈琲を飲み終わったのを見て、美鳥がバックを手に取った。

「あぁ、ごめん。ここはおごるよ」

「じゃあ、遠慮なく。また、明日メールしますね」

「うん。今日はありがとうね。嬉しかったよ」

駅の改札まで美鳥を送って、小さく手を振りながらホームに降りていく後ろ姿が見えなくなるまで、一馬はずっと美鳥から目が離せずにいた。

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青い鳥のいる部屋 26

  7.ヨコハマ






美鳥から貰ったチョコレートを、一馬は結局、家族には見せずに、寝室の中にある自分だけのコーナーに…こっそりとしまった。

見つからないように、恭子が食事の片付けをしている間に、少しずつ味わって食べる。

一週間が過ぎて、ほとんど食べ終わった頃、お返しをどうしょうか?と、考えはじめた。

ホワイトデーには、マシュマロだとかキャンディだとか…はたまたランジェリーを贈るとか聞いたことがあるが、どれも形式だけなような気がして、一馬の気が進まない。

(映画にでも誘ってみようか…断られるかな)

映画に誘うとなると、半日か一日ふたりきりで一緒にすごすことになる。

(デートだよなぁ… やっぱり、断られるかな?)

と、思いながら駄目で元々、と一馬は美鳥にメールを送ってしまった。


美鳥からの返信はすぐにきた。

〔お誘いありがとう!嬉しいです。カズさんは何か観たい映画ってありますか?

私の観たい映画って、もうすぐ公開が終わりそうなんです。

日にちが合えばいいですけど、カズさんのオススメの観たい映画を教えて下さいね〕

まさか本当に、こんなに簡単にOKしてくれるとは思ってもいなかった。

高校生の頃の生まれて初めてのデートを思い出して、そういえばこんなふうにドキドキしたよな、と一馬は思った。

それにしても、まずはふたりの予定が合わないことには、観に行く日が決められない。

2月はすでに残り少なく、一馬の休みもほとんど予定が入っている。

3月の休みは、用事のない日もあるにはあるが、半日しか時間が空いていない日が多かった。

とりあえず、美鳥の休みの予定を聞いて、一馬の予定とすり合わせてみるしかないな、とメールで連絡をとることにした。

いざ決めようと思うと、意外と休みの予定は合わないものだ。

一馬が、この日なら…と美鳥に伝えた日は、美鳥の都合が悪く、美鳥の都合がいい日には一馬の都合が悪い。

このままだと、いつになったら映画を観に行けるか分からない。

(このまま結局、映画の約束は流れちゃうんじゃないか? せっかく勇気をだして誘ったのに…やっぱり、なんとかして時間を作らないと)

もう一度、美鳥に教えてもらった休みの予定を見ながら、いっそのこと有給をとるか…と考える。

さいわいにも、まだ今年は一日も有給を使っていないから、なんとかなるだろう。


〔ちょっと日にちが開いちゃうけど、30日に有給を取りました。

この日でいいかなぁ? ‥って、有給取っちゃってから聞いてごめん〕

〔わざわざ有給取ってくれたんですか?私のために、ごめんなさい〕

〔大丈夫だよ。普段ほとんど有給使ってないからね。じゃあ、日にちはこの日ってことで。その頃って何かいい映画やってるかなぁ〕


せっかく一日休みを取ったから、出来たら映画だけじゃなくて少し遊べるといいなぁ、と思いながら、何か面白そうな映画をやっていないか探してみる。

お互いに観てみたい映画をいくつかあげてみて、その中から決めようということになった。

一馬が好きな映画は、アクションもの・ヒューマンもの…、美鳥はファンタジーや泣ける映画が好きだという。

ふたりがそれぞれにあげた映画の中で、ふたりとも観てみたいと思っていた映画が2つあった。

ひとつはヒューマンもの、もうひとつはSFアクションものだ。

〔どっちが観たい?〕

〔う~ん、どっちも観てみたいけど、やっぱり初めてのデートだから、あまり重くない方がいいなぁ〕

〔じゃあ、SFアクションで、スカッとする?〕

〔うん!〕

〔じゃあ、そうしよう。どこで観ようか?
その日は美鳥ちゃんは遅くなっても平気なのかな?だったら横浜で観て映画のあとにちょっと海を見に行ったり、遊園地もあるよ?〕

〔わ~い♪なんか本当にデートみたいだね☆ 観覧車に乗りたいなぁ!〕

美鳥の無邪気なリアクションに、今まで以上に好感を持って、このデートがとっても楽しみになってきた。

それと同時に、このままふたりの関係が進んでいくのが期待と不安でもあった。

(30日は晴れるといいなぁ…)

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青い鳥のいる部屋 27

約束の日までは、ふたりともいつもと同じように毎日を過ごしていた。

ただ行動は普段と同じでも、心の中は…ワクワクドキドキしていて、普段の何倍も華やいだ気持ちがしていた。

そんな時に、美鳥が考えることは、ふたりきりの時にどんな会話をすればいいのか…とか、映画の他にどんな風に一日一緒に過ごすのだろう…とか、本当に初めて好きな人にデートに誘われたみたいに、気がつくといつも、その日のことを考えている。

一馬の方は…というと、この日に有休を入れた理由を、まさか家族には正直に話すわけにはいかず、なんと言って家を出たらいいのか?と、悩んでいた。

やはり若干は後ろめたい気持ちがあって、恭子や娘たちに何か聞かれたらと思うと、みんなに内緒で付き合いだした高校生カップルのように、家族の何気ない一言にも変に反応してしまう。

いつもどおり、と自分に言い聞かせてみるけれど、きっと傍から見ると何かいつもとは違うのだろう。

結局、サークルの練習会で仲間と映画も観てくる、と恭子には告げた。

正直に映画を観てくると言ったのは、少しでも本当のことを伝えたと、一馬自身が思いたかったのと、恭子に何か聞かれたら答えられるところが、無意識に欲しかったのだろう。

何か聞かれるかな?と思っていたが、恭子が聞いてきたのは、何時に家を出るのか?と

「夕食は食べてくるの?」

これだけだった。

余計なことを聞かれずにすんでホッとする反面、少し寂しくもある。

(俺の心配じゃなくて、夕食の心配だけなのか)
 
今までもこういった気持ちのすれ違いはきっとあっただろう。

それが、あまり気にならなかったのは、一馬自身も家族の日常に慣れてしまっていたからなのだろう。

そして、一馬のロマンチストな心は、夢の中のあの娘を考えることで、現実とは違う世界にいたのかもしれない。

美鳥と映画を観に行く、一日デートをする約束をして、一馬の気持ちも夢の中から現実へと戻ってきたのかもしれない。

(美鳥ちゃんと逢ったら、いろんな話をしよう。俺のことをいろいろ聞いてもらって、知ってもらって、美鳥ちゃんのこともいろいろ話してもらって、教えてもらって…)

自分の心の動きが怖いと思う。

どんどん、美鳥に惹かれていっている自分。

それに、一馬に惹かれているであろう美鳥の心の動きも、なんとなく感じていて、嬉しいと思う反面、どうなってしまうのだろう…という気持ちが、一馬の心の中でせめぎ合っていた。


〔待ち合わせ場所はどうしょうか?直接横浜で待ち合わせる?俺は車で行くつもりだから、B駅で拾っていってもいいよ?〕

〔B駅まで来てもらうと、カズさん遠回りになりませんか?車のことはよく分からないから、拾いやすいところをカズさんが決めてください〕

〔それは別にかまわないけど…そうだね、B駅だと誰か知ってる人に会うかもしれないなぁ。じゃあ、C駅がいいかな?
ロータリーがあるし、そこからだと横浜へも出やすいし。車の種類とナンバーを教えておくよ〕

〔ごめんなさい。車の種類言われても、まったくわからないんで…色だけ教えて下さい〕

〔そうかぁ。車って興味ないの?俺の車はアイボリーのワンボックスだよ。ワンボックスはわかるよね?〕

〔たぶん…?〕

〔ワゴンとか、バンとか…わかる?〕

〔…すみません。どう違うんですか?〕

〔ま、いいか(笑)とにかく駅に着いたら電話してね〕

〔はい。そうしますね。カズさん、どんな服着てきますか?
まだ、寒いかなぁ?スカートじゃなくてパンツの方がいいかしら?〕

〔絶対スカートの方がいいよ!〕

〔えっ!?そうですか?〕

〔あっ、あんまりミニだと目のやり場に困るから、丈は長めでお願いします〕

〔そんな、ミニスカート持ってないよ。膝丈だけどいいですか?〕

〔膝丈…膝丈ってひざが出るの?隠れるの?〕

〔ひざが隠れるくらいですよ('-^*)/ 〕

〔了解!(b^-゜) 〕

〔で、カズさんはどんな服着てきます?〕

〔いつもとあんまり変わり映えしないけど、黒のハイネックに黒のジャケットかな~〕

〔あっ、じゃあ、私も!黒のハイネック持ってるから、着ていこう♪お揃い♪お揃い♪♪〕

(ペアルックかぁ…なんだか、本当にデートっぽい感じだなぁ)

他の人から見たら、ふたりはどういうふうに映るんだろうか。

友達?恋人?夫婦?

映画の時間に余裕をみて、C駅に9時に待ち合わせた。

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青い鳥のいる部屋 28

(ちょっと早いけどもう出ちゃおうかな?)

今日は緊張していたのか、5時半に目が覚めてしまった。

9時の待ち合わせだから、余裕をみても一時間前の8時に家を出れば充分なのに、普段早番で仕事に行く時よりも30分も早い。

しばらくベッドの中でグズグズしていたが、どうしても落ち着かなくて、美鳥は勢いよく起きあがると、熱いシャワーを浴びてきた。

コーヒーメーカーをセットして、冷蔵庫を開ける。

ひとり暮らしだと、食材もあまり買いだめするわけにもいかなくて、たいしたものは入っていない。

とりあえず、食パンをトーストしてハムエッグを焼く。

冷蔵庫に茹でたブロッコリーが残っていたので、それにまだ固めのトマトを切って添えると、簡単な朝食の出来上がりだ。

コーヒーにたっぷりと牛乳とお砂糖を入れて、ゆったりと喉に流し込む。

シャワーとコーヒーで、すっかり目が覚めてしまった。

時間をかけて出かける支度をしていたが、それもすぐに終わってしまった。

(やっぱり、少し早いけどもう出ちゃおう)

もう一度、鏡で全身をチェックしてから、バックの中もチェックする。

お財布・ハンカチ・ティッシュ・携帯…部屋の鍵。


〔早く目が覚めてしまったので、もう出て来ちゃいました。C駅には8時くらいに着いちゃいそうなんで、マックでも入ってます〕

送信のボタンを押して、ふと携帯の画面をみると…メール受信のマークが点滅し始めた。

〔おはよう!今日はいい天気になってよかったね♪今朝は早く目が覚めてしまって、落ち着かないんでもう出て来ちゃったよ。8時前には着いちゃいそうかな?近くまで来たらメールしてね〕

時間を見ると、ふたりがメールを送信したのは、まったく同じ時間だった。

〔私も早く目が覚めちゃったの!着くの同じくらいの時間みたいだね♪〕

〔送信時間見た?まったく同じだったよ!それに早めに出てきちゃったところも一緒なんだね。待たせなくてよかったよ〕

次のメールもまた同じ時間で、美鳥も一馬もビックリすると同時に自然に顔がほころんでくる。

〔なんか今日は道が空いてるなぁ。もっと早く着いちゃいそうだよ!〕

〔ホントだぁ!それに次のメールもだよ!予定より早めに着いたら、どこかでお茶でもします?〕

〔また、一緒だったよ!こんなに何回も同じ時間にメールしちゃうのって、初めてだなぁ〕

〔また一緒!本当に息がピッタリですね!こんなこと初めて〕

メールの内容まで同じになっていて、今日のデートは幸先がいいなぁ、なんて考える。


〔もう着いちゃった!ロータリーには長く停めとけないので、ちょっと先のコンビニの駐車場に停めておくよ。ついでに缶コーヒーでも買ってくるよ〕

〔えっ!もう着いちゃったの?だってまだ、7時半だよ!?〕

〔のんびり待ってるから気にしないで。でも、楽しみだなぁ〕

〔それにしても、ずいぶん早くに出てきちゃったのね?おうちの人に何も言われなかった?〕

〔いやぁ、逆に、まだ出掛けなくていいの?って家を出る前に3回も言われちゃったよ(汗)

早く追い出したかったんじゃない?〕

〔そんなことはないでしょう。なんて言って出てきたの?〕

〔サークルの練習して、みんなで映画観てくるって…〕

〔映画楽しみだね♪〕

それよりも…映画よりも、美鳥と一日一緒にいるのが、どんな感じか楽しみだった。

〔ずっとメールしてたら、電車に乗ってる時間もあっという間だね♪もう次がC駅です〕

〔もう次?じゃあ、ロータリーに移動するね!車はアイボリーの…ワンボックスだからね!

ナンバーは、※の☆☆☆☆だよ!〕

〔はぁい!探してみま~す(*^ー^)ノ 〕

改札口を抜けて、ロータリーへと階段を降りていく。

グルッとロータリーを見渡すと、アイボリーの車が目に飛び込んできた。

他に同じような車はないから、まず間違いないだろう。

自然と足取りが軽くなる。


駅から吐き出されてくる人たちの顔を、見逃さないように見つめる。

服装を聞いておいたから、大丈夫、見逃さないだろう。

あらかたの人達が通りすぎた後から、のんびりと階段を降りてくる、美鳥に目が留まった。
 
キョロキョロとロータリーを見渡している。

アイボリーの車はこれだけだから…あ、気がついたようだ。

今日は風が強い。

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青い鳥のいる部屋 29

一馬の車の助手席のドアを開けて、美鳥が乗り込んでくる。

「おはよう!大丈夫かな?ちょっとフロア高いけど…乗れる?落ちないでね」

一馬の顔を見て、美鳥が安心しきった笑顔を向けた。

「えっと、大丈夫そう。。おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

「あのさぁ、ひとついい?」

「はい?」

「敬語じゃなく喋って欲しいんだけど。いいかな?」

「はい!…じゃなかった、うん!そうします。」

「よかった。じゃあ、行こうか」


一馬がゆっくりと車をスタートさせる。
 
流れに乗って走り出した車は、速すぎず遅すぎず、とても丁寧な運転で、一馬の性格が現れているようだ。

美鳥は免許も持っていないし、そもそも乗り物に弱いたちなのだけれど、一馬の運転する車の助手席になら、安心して乗っていられるな、と思った。

しばらくは車内に流れる音楽に耳を傾けて、ふたりとも無言だった。

けれど、気詰まりなわけではなく、黙って隣に座っているのが、当たり前なような感じだった。

「映画の時間より、かなり早く着いちゃうと思うけど…どこかでお茶でもしていく?」

先に沈黙を破ったのは、一馬だった。

「外人墓地の先にケーキの美味しい喫茶店があるらしいんだ。モンブランが美味しいらしいよ。美鳥ちゃん、モンブラン好きでしょ?」

「わぁ~魅力的!あれ、私、カズさんにモンブラン好きって言いましたっけ?」

「いやぁ、聞いてないけど、知ってる。何度も目撃してるから」


“クローバー”で美味しそうにモンブランを食べている美鳥を、一馬は何度となく見かけていた。


「やだ。見られてました?」

「うん、いつも幸せそうに食べてるなぁって思って見てた」

恥ずかしいなぁ、と笑う横顔をチラッと見ながら、今日はいつもよりもよく笑うな、と一馬は思った。

美鳥の屈託のない笑顔を見ていると、自然と一馬も笑顔になっている。

「なんて実は、俺が食べてみたいんだけどね」

「ケーキ好きなんですか?」

「うん。甘いものは全般的に好きだな。ケーキだったら、美鳥ちゃんと一緒で、モンブランが一番好きかな」

一馬が「好き」と口にするたびに、美鳥の胸がときめく。


思ったとおり、予定時間よりかなり早くに横浜の街に入ってきた。

喫茶店の場所も開店時間もはっきりとわからなかったので、おおよその目安をつけて車を走らせる。

「あれ?確かこの辺りなんだけどな。通り過ぎちゃったかな?」

Uターンして、もう一度ゆっくりと戻ってくる。

「あ、あそこじゃない?」

思っていたより間口が狭い。駐車スペースも3台がやっとだ。

「まだ開店してないみたいだね」

どうしょうかなぁ?

どうしょう?

「開いてないんじゃしょうがないね。たぶん、もうすぐ開くと思うけど…先に“港の見える丘公園”に行ってみようか?ここからすぐだし…時間見計らって、また来よう」

「うん!」

テキパキとどうしたらいいか考えて、さりげなくエスコートしてくれる。

美鳥は安心しきって一馬に着いていけばいい。

「ん?どうした?」

「えっ?何でもない」

「そっか?…ん~、あんまりじっと見ないの、恥ずかしいでしょ」

一馬の横顔をいつの間にか、じっと見つめていたことに気がついて、美鳥は頬があつくなって俯いた。

「ごめんなさい」

「あはは、謝んなくてもいいょ。でも、じっと見られると恥ずかしいからさ」

“港の見える丘公園”の前の駐車場に車を停めると、車から降りて大きく伸びをする。

美鳥も一馬の横で、同じように伸びをして…気がつくとまた、一馬の横顔を見ていた。

まだ、午前中で時間が早いせいか、それとも平日だからか、公園にいる人影もまばらだ。

「わぁ~気持ちいい!すごい遠くまで見える!…あっ、観覧車!ちっちゃ~い!おもちゃみたい」

子供のように歓声をあげて、喜ぶ美鳥を見て

(今日デートに誘ってよかったな)

と一馬は思った。美鳥の意外な一面が次々と現れる。

ゆっくりと美鳥の横に立って、一馬も横浜の街と海を見渡す。

春の風が、美鳥の髪を弄んでいる。

美鳥は肩までの髪を必死で押さえて

「あ~ん、髪の毛ぐしゃぐしゃ。まとめてくればよかった」

と、半分泣きそうな顔をしている。

「ポニーテールとか似合いそうだね」

「あとでまとめてきます」

「楽しみだな。…まだ風は冷たいね。そろそろ行こうか」

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青い鳥のいる部屋 30

喫茶店に戻ってみると、まだ開店したばかりだと思うのに店内に何人も人がいた。

駐車スペースも1台分しか空いてなくて、なんとか車を停めるとお店に入って、ケーキの入ったショーケースを他のお客さんの後ろから覗き込む。

美鳥の目にモンブランのロールケーキが飛び込んできた。

一本丸ごとモンブランだ。

(美味しそう…)

と、思いながら

(でも、ひとりじゃ食べきれないなぁ…。ふたりなら食べきれるかしら?)

チラッと一馬の顔を見る。

ちょうど同じタイミングで一馬が美鳥を振り返った。

「美鳥ちゃん、見て。でかいのがあるよ。俺あれ食べたいなぁ」

なんでこうも考えることが一緒なんだろう。

「やっぱり、カズさんもそう思いました?」

「うん。でも、ここで食べるのは無理だろうなぁ。かといって買って持ち歩くわけにもいかないし…」

残念だなぁ、と繰り返し呟く一馬を見て

(カズさん、なんか可愛い)

と、ひとりでにっこりしてしまう美鳥だった。

結局、喫茶店では普通のサイズのモンブランを頼んで食べた。

まだ、未練のありそうな一馬に、思わず

「また今度、買いに来ましょうね」

と、言ってしまってから

(でも、どこで食べるの?)

と、口の中で小さくツッコミを入れてみる。

「そうだね。絶対買って食べようね」

叶うかどうか分からないけれど、ほんのささやかな願いだけど…叶うといいな、と思いながら喫茶店をあとにした。


映画館では、そこそこの混み具合で、隣同士並んで座りながら、一馬は映画の画面よりも隣にいる美鳥のことが気になって仕方がなかった。

そっと横顔を盗み見ると、食い入るように画面に見入っている。

そっと手を伸ばせば届きそうな位置に、美鳥の細い指先があって、マニキュアも何も塗られていない小さな爪が、映画の場面がドキドキさせる度に、キュッと握りしめられるのを、そっと見つめていた。

できることなら、その手に自分の手を、そっと重ねたい。

でも、いきなりそんなことをして嫌われたら…と思うと、ただ黙って美鳥の小さな手を見つめることしかできない。

そんな一馬の気持ちを知ってか知らずか、美鳥は完全に映画にのめり込んでいるようで、今度はコミカルな場面で愉しそうに笑っている。

(まぁ、いいか…)

一馬もスクリーンに視線を戻した。



「おもしろかったぁ!」

映画のあと、少し遅いお昼を食べてから、ふたりは海に向かって歩き出した。

「風、少し強いけど、気持ちいい」

ポニーテールにまとめた髪を揺らしながら、美鳥が弾むように歩く。

その少し後ろをゆっくりと、一馬が歩いている。

クルッと後ろを振り返って、美鳥は一馬の横に並ぶと、そっと右手を一馬の左手に滑り込ませた。

ドキッとして一馬が美鳥の顔を見ると、いたずらっ子のように

「カズさんて優しい手をしてるのね」

と言って笑う。

思わず一馬の指先に力が入る。

ぎゅっと美鳥の柔らかい手を握りしめると、美鳥もぎゅっと握り返してきた。

瞳と瞳が合って、ふたりは同時に照れくさそうにニコッと笑った。


赤レンガ倉庫が見えてきた。

倉庫の中に入るといろんなお店が入っていて、ゆっくりと冷やかしながら歩いていく。似顔絵のブースもある。

倉庫の中は人でいっぱいで、手をつないで歩いていても、人の流れに押し流されそうになったりする。

「まだ見たい?」

「外に出ましょうか?」

また、ふたりは同時に同じことを聞いて、顔を見合わせて笑った。

赤レンガ倉庫から出てくると、海に向かってしばらくは何も言わずに立ち止まっていた。

「海に来るのって久しぶり…」

海どころか、美鳥が出かけることはここ数年なかったのだけど。

ひとりでは出かける気にもなかなかならなかったのだ。

誰かが一緒にいてくれることが、こんなに楽しくて、こんなに幸せな気持ちになれるなんて…

久しぶりに感じる想いだった。

それは一馬も一緒で、一馬の場合は家族で買い物に出かける機会はあっても、いつも心はひとりでいたような気がする。

「美鳥ちゃんは海と山とどっちが好き?」

「う~ん、海も好きだけど、山っていうか高原とかが好き」

「それは何で?」

「う~ん、高原ってなんか、空気が澄んでるっていうか…自然な自分でいられる気がするの」

「そうかぁ。俺もどっちかっていうと山の方が好きかな」

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青い鳥のいる部屋 31

「そろそろ寒くなってきたんじゃない?大丈夫?」

「うん、少し…」

「じゃあ、もう戻ろうか?」


今度は一馬から、左手を差し出した。

嬉しそうに美鳥がその手を握る。

気がつけば辺りもうっすらと陽がかげりはじめて、人影もまばらになってきている。


「帰りもC駅でいいのかな?途中で夕食を食べていくかい?」

「……」

「ん?どうした?」

「…観覧車」

「え?」

「観覧車に乗りたい。ダメ?」


一馬の顔を下から見上げるようにして聞いてくる。

「ごめん、ごめん。美鳥ちゃん、ずっと観覧車って言ってたよね。乗ろうか?」

「うん!」

まるで少女のように喜ぶ美鳥を見て、今日は本当にいろんな顔を見れてよかったな、と思う。

このまま、駅まで送り届けて、それで終わりにしてしまうのは少し淋しいな、と一馬も思っていた。

観覧車に乗るのを待つ人の列の、最後尾に並んでいると、周りにいる大半が若いカップルで、自分たちも傍から見たらやっぱりカップルに見えるんだろう

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青い鳥のいる部屋 32

8.想い




横浜に行ってから、ふたりのお互いに対する意識が変わった。

今までのただの友達という気持ち~思い込みが、利かなくなってしまった。

メールの回数は今まで以上に頻繁になり、メールだけでは我慢出来ずに、電話をして声が聞きたくなる。

メールの内容も、電話で話すことも他愛もないことだけれど、繋がっているという想いが、ふたりの距離を縮めていった。


どうして人はひとりでは生きていけないのだろう。

美鳥にとって一馬の存在は、もうなくてはならない人になっている。

けれど心の片隅には、一馬の家族に対する申し訳ない気持ちが、いつもチクリと突き刺さっていて美鳥をやるせない気持ちにさせる。

(やっぱり、好きになっちゃいけないんじゃないかな…)

その想いはいつも美鳥の胸にあって、自分を責める。

だけど、もう自分の気持ちをごまかせない。

今まで味わったことのないようなこの気持ちを、無視することなんて出来ない。

(カズと一緒にいたい。離れたくない)

ただ、それだけを想う。

メールを交わせば、声が聞きたくなる。

電話で話せば逢いたくて堪らなくなる。

(今度はいつ、ふたりきりで逢えるのかな…)



一馬にとっても、自分の気持ちの中で美鳥が占める割合が、急激に大きくなっていった。

もっともっと、美鳥を知りたい。

たった一日、一緒に過ごしただけなのに、美鳥に対する想いは以前のそれとは大きく違っていた。

(次の約束をすればよかった…)

あの日、横浜の観覧車で…左肩に感じた美鳥の頭の重さ。

そっと触れた唇の柔らかさ。

この娘は淋しいんだな、と…

そして、痛いくらい強く自分を必要としてくれているのを感じていた。

いつも口数少なく、おっとりとしている美鳥が、なぜかあの日は心を弾ませているのが分かった。可愛かった。

自分といる時の美鳥が、自然体のありのままの姿なのだろう。

今まで美鳥はひとりで、肩に力を入れて周りから弾き飛ばされないように、頑張ってきたのだろうと思う。

辛いとか、苦しいとか表に出せずに、すべて自分の中にしまい込んで…

けっして自分からは弱音を吐けない。

そんな女性なのだろうと、一馬には感じられた。

だから美鳥が、せめて一馬と一緒にいる時には、堅い殻を破って本当の自分に戻れるように…それが自分の役割だと、一馬は強く思う。

美鳥を守ってあげたい。支えになってあげたい。いつもそばについていてあげたい。

それが今の一馬の素直な気持ちだった。

ただ、なかなかふたりだけの時間を作ることは難しそうだった。

ふたりとも仕事を持っているし、ましてや一馬には家庭がある。

休みの日には、家に人が訪ねてくることだってあるし、子供たちの買い物や出かける用事に付き合わなければいけない。

今までが家にいて、パソコンをしたりギターをいじったりと、自分の用事で出かける事が少なかったから、急に出歩くのもおかしいだろう。

ふたりが唯一間違いなく顔を合わせられるのは、B文化センターに行く土曜日くらいだった。

ただ、この日も菜穂や純一が一緒なことが多いから、ふたりきりで逢えるとは限らなかった。

クローバーでふたりきりになると、時間が許す限り一緒にいた。

特別なことをするわけでも、特別な話をするわけでもなく、ただ、ふたりきりでいられることが嬉しかった。

ふたりきりでいられる時間は、本当にあっという間に過ぎていってしまう。

帰りの電車も逆方向だから、ホームに上がる階段の前で、そっと繋いでいた手を離すとき、いつも美鳥は一馬の手をぎゅっと握ってくる。

一馬が美鳥の手を握り返す。

「来週から車で来ようかな。そうしたら、美鳥を家まで送ってあげられるよ」

「嬉しい!でも帰るの遅くなっちゃうよ?大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。それより少しでも一緒にいたいな」

「嬉しい…」


それからはふたりきりの日には、一馬の車で美鳥のアパートまでの短いドライブが約束になった。

それでも、菜穂がいる時にはクローバーで別れなければいけないので、気持ちを顔に出さないようにするのが、美鳥には難しい。

ふたりきりでいられる時間が短ければ短いほど、少なければ少ないほど、想いは募ってしまう。

もっと逢いたい。もっと話をしたい。

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青い鳥のいる部屋 33

美鳥の通勤路は、美鳥の職場から一馬の仕事先の最寄り駅を通って、一馬の住む街も通り過ぎ、クローバーのあるB駅を通って…さらに家まで約一時間がかかる。

少しでも逢える時間が欲しい、美鳥は時間が合う時だけでいいから、仕事帰りに逢えないかしら?

とお願いしてみた。

 
その日から、束の間のドライブデートが始まった。
 
一馬の仕事先の最寄り駅よりひとつ手前の駅で待ち合わせして、美鳥のアパートまで送り届ける。

このドライブデートで、一馬の帰宅時間は以前より約2時間遅くなったが、恭子には

「仕事が終わったあとに、勉強会があって、その後に後輩を送ってから帰るから遅くなる」

と説明した。恭子は、ただ

「ふぅ~ん?」

と言っただけで、何も疑ってもいないようだ。

本当なら送ってもらって一緒にお茶でも…と、一馬を引き止めたいところだが、あまり遅くなってしまうと次の時に困るだろう。

一馬も美鳥の部屋に入ってみたい気持ちはあったが、一回部屋に上がってしまうと、きっと次からは毎回部屋に寄っていきたくなってしまうだろう。

自分の気持ちがどういうふうに変わっていくか、一馬自身にも自信がなかったし…今では、美鳥を好きだ、という自覚がはっきりとあったから、成り行きだけで美鳥を抱くことだけはしたくなかった。


それでも、一馬にとっても美鳥は、やっと巡り逢えた大切な人で、だからこそ大事にしていきたかった。


「もうすぐゴールデンウイークだね。カズは予定あるの?家族でお出かけしたりとか?」

「う~ん…子供たちが小さい頃は、家族旅行もしたけどね。最近は行かないなぁ。子供たちも友達との付き合いの方が忙しいみたいだからね」

「そうなんだぁ。ちょっと淋しいね」

「いやぁ、どこの家も似たようなもんでしょ」

「…奥さんと出かけたりしないの?」

「うん?あいつも友達と遊びに行ったり忙しいみたいだからね」

「…そう」

「ヤキモチ?」

「そんなことない…」

「そうかぁ?ちょっとはヤキモチ妬いてくれた方が嬉しいけどな」


一馬が苦笑しながら美鳥の顔をのぞき込む。

美鳥は少し拗ねたように、一馬の視線を受け止めて

「…じゃあ、お休みはずっと家にいるの?」

と、聞いてきた。

「うん。…一日くらい一緒にどこか出かけるか?」

美鳥は最初からその言葉を待っていたのかもしれない。

「うん。嬉しい…」

「じゃあ、いつにしようか?」

一日一緒にいられるなんて、そうそうあるわけじゃない。

その日だけは、お互いのことだけ考えていられる。

ふたりきりの大切な時間。

「でも、連休はどこに行っても混むからなぁ~。美鳥は30日とか、1日はお休みなの?」

「うん!お休みだよ」

「じゃあ、少しでも人の出が少ないかもしれないから…そのへんにするか?どっちが都合がいい?」

「両方とも大丈夫だけど…やっぱり、30日の方がいいな」

「30日ね?分かった。じゃあ30日にしよう」

美鳥は30日で前回の一日デートからちょうど一カ月だな、と思って30日と言ったのだ。

一馬がそのことに触れなかったので、少しだけがっかりしたが、また一日一緒にいられるという想いが強くなって、自分が覚えているからいいか、と思い直した。

「で、どこに行こうか?美鳥はどこに行きたい?」

「う~ん、行きたいところはいっぱいあるけど…」

「やっぱり、横浜かな?ちょうど一カ月だしね」

忘れていたわけじゃないのだ。

一馬は一馬なりに、どうしたら美鳥の喜んだ顔が見られるのか考えていた。

ただ自分の気持ちを美鳥に押し付けることは、したくなかった。

「覚えていたのね!」

「当たり前だろ?あの日は特別な日だからね」

いつもそうなのだ。美鳥の喜ぶ顔が見たくて、一馬はいつもそればかり考えている。

普段一緒にいてあげることが出来ない分、自分に出来ることなら何でもしてあげたいと思う。

それが自分に出来る精一杯の誠意だし、愛情表現だから。

「横浜も行きたいけど、江ノ島とか鎌倉とかも…捨てがたいよね?」

美鳥が迷っていると

「う~ん、全部行ってあげたいけど、一日じゃちょっと無理かな?ゴールデンウイークじゃなくて、全くの平日なら回れるかもしれないけどね」

「じゃあ…江ノ島は次でもいい…」

(1日もお休みなんだけどな…)

そう思ったが、自分からお泊まりをお願いするなんて、まだ美鳥には出来なかった。

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青い鳥のいる部屋 34

出掛ける約束をしてから出掛ける日まで、あまり日数はなかったけれど、美鳥にはとても長い毎日だった。

ひとつには、美鳥も一馬も、連休前ということで俄かに仕事が忙しくなってしまったこと。

もう一つは、連休は友達と出掛ける予定だった恭子が、友達の都合で出掛ける予定が潰れてしまったことだ。

「ゴールデンウイークなのに、ずっと家にいるのも、ツマラナイのよね」

「ゴールデンウイークじゃなくても、木村さんとは出掛けられるんだろう?」

「それはそうだけど…それとこれとは別よ。みんなで映画でも見に連れて行ってよ」

「詩織も奏恵も予定があるだろう。急に言ったって無理だよ。俺だって予定もあるし…」

「パパったら最近は自分の予定ばっかりね」


恭子の一言に、ドキリとした。

確かに美鳥と逢う時間を作るために、帰宅時間は遅くなっている。

本当なら“文章の講座”の日ではない土曜日も、講座があると言って出てきている。

それでも、美鳥と一日逢える日はなくて、やっと連休中に一日ゆっくり逢える日を確保したのだ。

今回も、サークルの仲間と練習と映画とカラオケも行くかも…という理由で。

「そんなに予定ばっかり入れてないだろう。友達との付き合いを大切にするのが、悪いのか?」

「そうは言ってないけど…」

「お前だって、今回は潰れたかもしれないけど、月に2・3回は木村さんや田辺さんと映画や食事に行ってるだろう」

「そんなに怒らなくてもいいじゃない」

つい一馬の口調がきつくなってしまったのは、罪悪感を認めたくなかったのかもしれない。

「いつがいいんだ?予定のある30日以外なら、一緒に出かけてもいいよ」

少し恭子にきつく言い過ぎたかもしれない。

今まで休みでも、子供達が小さい頃を除けば、家族で一緒にどこかに出かけることも確かになくなっていた。

それぞれに自分の予定を優先させていたせいでもあるし、一馬も、子供達も一緒ならともかく、恭子と二人きりで出掛けたいという気持ちが少なくなっていっていたのも確かだ。

時々、俺は家族に…とりわけ恭子に必要とされているのだろうか?という気持ちが、ここ数年…認めたくはないけれど、していたのも確かだ。

だから美鳥に惹かれたのだろうか?とも思う。

「別に無理してくれなくてもいいのよ。あなたに無理してもらっても、詩織も奏恵も予定があるだろうし…」

結局、いつ出掛けたいとも言わずに、恭子はテレビの画面に視線を戻してしまった。


この話を美鳥にするべきか、一馬は迷ったすえに話した。

話したことで、美鳥が気にしてしまうんじゃないか?とも思ったけれど、なぜだか話さないでおくことが、美鳥に対して隠し事をしてしまうようで、出来なかったのだ。

案の定、美鳥が心細そうな声で

「大丈夫?平気なの?もしかしたら奥さん何か感じてるんじゃない?」

と、聞いてくる。

「いや、そういうことはないと思うよ。あいつも出かける予定が潰れたから、どこか連れてけって言っただけだろう」

「そう?でも、きっと何か感じてると思うわ。はっきり疑っているわけじゃないだろうけど…」

こういう話を聞くと、やっぱり美鳥の胸を罪悪感がチクリと刺す。

「気にしなくてもいいょ。ただ、またどこかに出掛けたいって言われたら、出かけるかもしれないから…」

「うん。大丈夫だよ。だって、お休みの間はやっぱり家族と一緒にいるのは、わかってるもの。一日一緒にいてくれるだけで、嬉しいもの」

「ごめんね」

美鳥の淋しい気持ちが、手に取るようにわかるだけに、一馬には他の言葉が見つからない。

「やだ。大丈夫だよ~!謝らないで」

「うん。でも、俺は美鳥に何にもしてあげられないもんなぁ」

「莫迦ね。そんなことないよ。カズにはいっぱいいっぱいもらってるよ。

こうして、家まで送ってくれる時間を作ってくれてるじゃない」


本当はもっと一緒にいる時間が欲しいだろう。

美鳥は自分に言い聞かせるように、話している。

「美鳥。好きだよ。…なんでもっと早くに出逢わなかったんだろうな」

一馬の言葉に、美鳥は自分の気持ちを言い当てられたかのように、唇を噛んでうつむいた。

何故、もう少し早くに出逢えなかったのだろう。

考えても答えのでるはずもない想いが、胸を締めつける。

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青い鳥のいる部屋 35

今日もすっきりと晴れて、気持ちのいい青空が広がっていた。

一カ月前と同じように、C駅のロータリーで待ち合わせをした。

結局、あのあと恭子が出掛けたいと言い出すこともなく、今日になった。

美鳥のほうから、一馬の他の休みの予定を聞き出すことはしなかったが、一馬が教えてくれたのだ。

聞きたい、という気持ちと、聞きたくない、という気持ちが、美鳥の心の中ではせめぎ合っている。

一馬は美鳥には、出来れば何も隠し事はしたくなかった。

自分のことを全部、知っていて欲しいと思う。

ロータリーで一馬の車を待っていると、一カ月前のことを思い出す。

あの日は風が強かった。
 
最初からわかっていれば、髪をまとめてきたのに、そうしなかったから風で髪が乱れて気になって仕方がなかったっけ。

今日は最初から、ポニーテールにしている。

今ちょうど、肩より少し長いくらいで、このまま伸ばそうかショートにしようか、ちょっと迷っている。

いったん切ってしまうと、また伸ばすには時間がかかる。

(カズは長いのと短いの、どっちが好きかな?)

知らず知らずのうちに、一馬の好みに近づきたいと思っている自分に、美鳥は自分で可愛いなぁと思う。

ただ、あまり意識しすぎて、一馬に重たく思われるのも怖かった。

恋をすると、どんどん自分が変わっていく。

私ってこんなに臆病だったっけ?

それだけ、一馬の存在が美鳥には大きくなってきているのだろう。

だから…一馬の家のことは、聞きたいけど聞きたくない。矛盾した二つの気持ちの間で揺れ動いている。




「美鳥。遅れてごめん!だいぶ待った?」

助手席のドアを開けて、乗り込んだ美鳥に一馬が缶コーヒーを渡しながら聞いた。

「大丈夫。時間通りだよ。私もさっき着いたばかりだから…」

「そうか、よかった。待たせちゃったかと思って、ちょっと焦ったよ」

笑いながら、クリアファイルに入った資料を美鳥に渡すと、ゆっくりと車をスタートさせた。

「ちょっとインターネットで調べてみたんだ。江ノ島水族館、新しくなってるんだね」

「江ノ島?江ノ島も行けるの?」

「だって行きたいんでしょ?」

イタズラっぽく笑いながら、一馬が言った。

「俺も水族館なんて子供が小さいときに行ったきりだからさ。ちょっと行ってみたいかな?って思って、調べてみたよ。イルカやアシカのショーもあるね」

手元の印刷された資料と一馬の横顔を、代わる代わる見つめて

(カズったら、何でも私の考えてる事がわかるみたい)

と、思って、美鳥の顔はひとりでにほころんでくる。


「もしかして、道が混んでると帰りが遅くなるかもしれないけど…大丈夫かな?」

「うん、大丈夫だよ。明日もお休みだから(帰りたくなくなっちゃうかもしれない…)」

「じゃあ、今日は目一杯楽しもうね」

「うん!」


連休中とはいっても、道はわりと空いている。

一馬が用意してきた曲を聴きながら、快適なドライブだ。

思ったより早くに江ノ島水族館に着いてしまった。

車を駐車場に停めて、手を繋いで歩き出すと、前を歩いていた家族連れの3才くらいの女の子が、しきりに後ろを振り返って手を振ってくる。

「可愛いね」

美鳥が笑いながら手を振り返すと、ニコニコっと笑って、また大きく手を振ってくる。

子供を見ている美鳥の横顔を見つめて、本当に子供が好きなんだなぁ、と一馬は思った。

口に出してこそ言わないけれど、きっと自分の子供を腕に抱きたかったのだろう。

今までもクローバーや街の中で、小さい子を見かけると、いつも愛おしそうに見つめている。

そんな美鳥に、自分がしてあげられることは限られていて、こうしてたまに一緒にいることだけだ。

知らず知らずのうちに、何気ない一言で美鳥を傷つけてはいないだろうか…。

知り合って間もない頃、まだふたりがこんなふうに、付き合うようになるとは夢にも思っていなかった頃…

一馬はよく家の話や子供たちの話を、菜穂や純一も交えてクローバーで世間話をしている時に、話した記憶がある。

特に詩織と菜穂が同じ年だったから、ごく普通に娘たちの話をしていたし、子供たちが赤ん坊の頃の写真を見せたこともあった気がする。

そんな時に、美鳥はいったいどんな気持ちでいたのだろう。

まさか一馬とこんなふうに付き合うようになるとは思っていなかっただろうから、ただ一馬のことを、親バカだなぁ、と思っただけかもしれない。

けれど、こうして付き合うようになってみて、美鳥が家族の温かい家庭というものに、いかに憧れているかが、一馬には自分のことのように感じられる。

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青い鳥のいる部屋 36

水族館の中も家族連れで賑わっていた。

子供たちが館内をパタパタと駆け回る様子を、美鳥は楽しげに見つめながら、ゆっくりと水槽を見てまわる。

あらかじめアシカやイルカのショーの時間を調べておいたので、それにあわせて見てまわることにした。

子供たちが水槽にへばりついているのに混じって、美鳥もさっきから飽きることなく魚たちを眺めている。

一馬は水槽の中よりもむしろ、魚たちを眺めている美鳥の横顔に見とれていた。

ふと、美鳥が一馬を振り返ってニッコリと笑う。

「見て見て。綺麗だね~!きっと一日見てても飽きないだろうなぁ」

水槽の中には色とりどりの熱帯魚たちが、右へ左へと軽やかに泳ぎ回っている。

「美鳥。一日中ここにへばりついているつもりなの? 」

笑って言う一馬に、頬をふくらませて

「カズったら、イジワルね」

とすねてみせる。

「そろそろイルカショーの時間だよ。スタジアムに移ろうよ」

笑って歩き出しながら、そっと左手を差し出した。

美鳥はその手に自分の手を重ねると、強く握り返した

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青い鳥のいる部屋 37

9.恋人たち

まだ横断歩道の途中、分離帯のところで、一馬と美鳥を取り残して信号が赤に変わった。

「美鳥?…美鳥、愛してるよ」

「…私もよ」

行き過ぎる車も、横断歩道の両側にいる人たちも、今はふたりの目には入っていない。

どちらからともなく唇を合わせると、ふたりの時間は静かに止まっていた。

「愛してる」

一馬が言う。

「愛してる」

美鳥が応える。

まるで他の言葉をなくしてしまったように、ただふたりとも繰り返す。

「愛してるよ」

「愛してるわ」

やがてまた、時間が静かに流れ出して…

信号が青に変わった。

海辺は風が強い。

一馬は美鳥の手をしっかりと握りしめて、歩いて行く。

遠くにベイブリッジのイルミネーションが見える。

海が星を映し出したように、キラキラと輝いている。

美鳥の後ろから一馬は風をさえぎるように、美鳥を抱きしめた。

美鳥の耳元に

「タイタニックみたいだね」

とささやくと、一段と強く美鳥を抱きしめる。

「…幸せだわ。今まで生きてきたなかで、今がいちばん幸せ」

「これからふたりで、もっともっと幸せになろう…」

一馬の言葉に、美鳥の小さな胸が、トクンとときめいた。

美鳥が今まで望んでいて、それでも決して手に入らないと諦めていたもの。

決して言葉に出してはいけないと想って、胸の奥にしまい込んでいた。

「…私でいいの?」

「美鳥がいいんだ」

「でも…」

(…でも、これは許されない恋だから…。きっといつかは家族の元に帰ってしまうのに。どうしょう。

もう気持ちが止められない…)

感極まって美鳥の瞳からは涙が溢れていた。

「ん?どうした?…泣いているの?」

「…ごめんなさい」

「泣く奴があるか。」

「だって…」

美鳥を自分の方に向かせると、頬に伝う涙を指でぬぐって、一馬はいつもの優しい笑顔をみせて言う。

「美鳥のことは大切にするよ。ずっと俺が守っていくから…信じてほしい」

半分泣きべそをかきながらも、一馬の視線をしっかりと受け止めて

「うん」

と小さな声で美鳥が答えた。

「すっかり遅くなっちゃったね」

「うん」

「なんか気持ちが止まらなくなっちゃったんだよな」

「うん。そうだね」

「美鳥はさ、俺のどこがいいの?」

突然問いかけられて少し言葉に詰まった。

「どこって…」

「改めて聞いたら答えに困っちゃうかな?そんなにいい男でもないしね」

「そんな。カズは素敵だよ」

「ありがとう。俺はね、やっぱり、美鳥の笑顔かな?」

そう言う一馬の笑顔が大好きだな、と美鳥は改めて思う。

「私も。私もカズの笑顔が好き。それから…優しいし…それから…うん、うまく言えない」

気持ちばかり溢れて、言葉にならない。

「いいよ。無理して探さなくても」

「そうじゃないの。そうじゃなくて…うまく言えないだけ」

「可愛いなぁ、美鳥は」

一馬の言葉に、美鳥は少しくすぐったい想いで、一馬の顔を見つめてしまう。

「…少し歩こう」

ふたりとも、このまま時間が止まればいいのに…と、心の片隅で思いながら、ただ黙ってまた歩き出す。

「…カズ」

「…うん?」

「私、幸せだよ…」

「…うん」

「……」

「そうだね。幸せだね。こんな時間が持てるなんて、思ってなかったよ」

本当に…知りあったばかりの時には、ふたりがこんな関係になるなんて思ってもいなかったし、付き合い始めてからも、自分にとってこんなに美鳥が大切な存在になるなんて思わなかった。

していることが、いけないことだとは分かっている。

不倫だし、家族を騙しているわけだし、世間から後ろ指を指されても仕方がないだろう。
けれどふたりにとって、この想いはあくまでも純粋なものなのだ。

 
ただ知りあった時には、もうすでに一馬には家族があった。

知り合うのが遅かっただけだ。

でも…

と、美鳥は思う。

あの夢。小さな頃から見ている夢。

一馬も同じ夢を見ていたという。

ふたりして幼い頃から、同じ夢を見ていたのなら、こうして知り合って惹かれ合うのは、当然のことなのかもしれない。

夢の中でずっと、お互いを探していた。

そして、やっと出逢えたのだ。

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青い鳥のいる部屋 38

「…カズ」

「ん?どうした?」

「帰りたくないよ」

「…美鳥」

「こんなに好きなのに…愛してるのに…。何で別々のところに帰らなくちゃいけないのかな?」

「…美鳥」

「ごめんね。私、無理なこと、言ってるね」

「……」

「…でも、どうしょうもないの。だって、離れたくないもん」

「…美鳥」

「このまま、時間が止まればいいのに…」


めずらしい美鳥のワガママに、一馬も自分の気持ちを抑えきれなくなってきていた。


「…俺だって、美鳥と離れたくないよ。美鳥を離したくないよ」

「ごめんね。ワガママ言ってるね」


美鳥が自分の感情を、一生懸命抑えようとしているのが分かった。

一馬はそんな美鳥を見ていると、なおさら美鳥を離したくない想いで胸の中はいっぱいになってしまった。


「…帰るの、止めるか…?」

「カズ?」

「美鳥がそうしたいなら、俺はいいよ」

「…うん、帰りたくない」

「じゃあ、そうしよう」


本当にいいのか?

一馬は自分の気持ちの動きに少し驚きながら、自問自答してみる。


本当にいいのか?

一時の感情の高ぶりに身を任せて、恭子を、美鳥を、傷つけることになるんじゃないのか?

娘たちに顔向け出来るのか?


そう問いかけながらも、一馬にはもう自分の気持ちを誤魔化すことは出来なかった。

今はただ、少しでも長く美鳥と一緒にいたい。

この娘のそばにいて守ってあげたい。


遠くに横浜の夜景を見ながら、今日の日のことはきっと一生忘れないだろう、と一馬は思った。



 
最初はただ気になる、気の合う相手だった。

けれどいつの間にか、お互いの気持ちが、少しずつ本物になっていって…今ではなくてはならない存在になっている。








美鳥は一馬の腕の中で、一馬が囁くように話してくれる言葉に、そっと耳を傾けながら、自分の気持ちがゆったりと落ち着いているのを感じて、まどろみかけていた。
一馬の心臓の音が心地よく美鳥の胸に響いている。



「美鳥、寝ちゃったのか…?」

「…うん?寝てないよ」

「眠かったら寝ちゃっていいんだよ」

「…うん…」


けれど、眠れるはずもない。

一馬の言葉は魔法のように、美鳥の堅く閉じ込めていた想いを溶かしていく。

それは、今までの一馬の歩んできた道のりと…出逢った人達のことや、最近よく聴く曲の話、美鳥にはじめて逢った時の印象など…

とりとめのない他愛もない話だけれど、美鳥にとってはどれも一馬の飾らない素顔を垣間見せてくれる、

一つひとつが大切に聴きたい言葉だ。


「なんか俺ばっかり喋ってるね。美鳥は何か俺に聞いてほしいことある?」

自分のことを上手く一馬に話して伝えられる自信がなくて、美鳥は一馬の胸に顔をつけたまま、ちょっと首をかしげる。

「…うまく言葉に出来ない。ごめんね」

「いいよ。話せるときに、美鳥の言葉で話してくれれば…。待ってるから」

「うん…」

そんな一馬の言葉にも、美鳥の瞳に涙が浮かんだ。

私は、一馬に愛されている。

私のことをいちばん大切だと言ってくれる。

こうして、私のわがままを聞いて、朝までの時間を私にくれた。

それだけでいい。それだけで充分。

愛してると大切にすると言ってくれるだけで…。

これ以上、多くを望んだらきっとバチがあたる。

好きになりすぎないように…。
けれど、もう美鳥の心はこれ以上ないくらいに一馬を求めていた。


「…美鳥?泣いているの?」

一馬の言葉に美鳥はこっそりと手の甲で涙を拭って、無理やり笑顔を作ってから一馬の顔を見上げる。

「大丈夫だよ。私は大丈夫だから…心配しないで」

美鳥の頬に残る涙の跡を、一馬はそっと指先で拭うと優しく唇を重ねた。

「美鳥。無理に笑顔を作ろうとしないでいいんだよ。俺の前では、自然体でいて欲しいんだ。

辛いときは辛いって言っていいんだ。泣いたっていいんだよ」

一馬の優しい言葉に思わず美鳥の瞳に、新たな涙の滴が浮かんだ。

それでも美鳥はぐっとこらえて、涙がこぼれ落ちてしまわないように、また笑おうとした。

「…美鳥。俺に出来ることは数少ないけど、美鳥のためなら何でもするよ。何かしてほしいことはない?

何でも言っていいよ」

「嬉しい。そう言ってくれるだけで、私はすごく幸せだよ」

「本当に美鳥はいつもそうだね。もっとわがまま言ってくれてもいいのに…」

「だって…カズがこうして隣にいてくれるだけで、それだけでいいの。きっとわがまま言ったら、バチがあたるわ」

「可愛いな、美鳥は。でも、本当に何でも言ってくれなくちゃヤダよ」


もう一度、一馬の背中にまわした手を強く抱きしめる。

それから一馬の顔を見つめると、美鳥は自分からそっと一馬と唇を重ねた。

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青い鳥のいる部屋 39

「…じゃあ、ひとつお願いきいてくれる?」

「ん?なんだい?言ってごらん」

「あのね。またカズの歌が聴きたいな。何か歌って?」

美鳥のお願いがささやかなもので、でも一馬にだけしか出来ないお願いだったので、一馬は心をこめて歌おうと決めた。

「…そうか。歌聴いてくれるんだ。ギターを持ってくればよかったな。…じゃあ、アカペラでもいい?」

「うん、このまま耳元で歌ってくれると嬉しいな」

「いいょ。何を歌おうか?リクエストある?」

「…うん…でもカズが決めて」

何を歌おう。この娘のために。心をこめて。


しばらく、何を歌おうか、とあれこれ頭を悩ませていたが、一馬の胸のなかにひとつの曲のメロディーとフレーズが浮かんできた。

「うん。じゃあ、歌うよ。美鳥のために心をこめて…歌います」

 
もう一度、一馬は美鳥を強く抱きしめてから、優しく壊れやすい宝物を抱くように包み込んだ。
美鳥が一馬の胸に顔を寄せて瞳を閉じると、一馬の優しい温かい歌声が耳元で聴こえてきた。

♪不思議だね こうして ふたりが逢えたこと…♪


小田和正の『woh woh』だった。


一馬の今の心境にピタリと歌詞が重なる。

ひとこと一言のフレーズに、美鳥への想いを込めて…心を込めて歌う。




  不思議だね こうして ふたりが逢えたこと

  そのために ふたりここへ 生まれてきたのかな

  はじめて ふたりで ふたりだけで歩いた

  あのとき たぶん僕は 君を好きになったんだ

  息を止めて 君を見つめてる

  woh woh

  woh woh 君を抱きしめていたい


  確かなことなど 今何もないけど

  本当に大切なことは 君が教えてくれた

  いつか君の その哀しみは

  woh woh

  woh woh きっと忘れさせるから


    僕は 君に何も 誓えない

    でも 僕は 君のために

    精一杯の人生を生きる


  いつか 君の その哀しみは

  woh woh

  woh woh きっと忘れさせるから

  息を止めて 君を見つめてる

  woh woh

  woh woh 君を抱きしめていたい


一馬の優しい温かい歌声に、歌の言乃葉に、おもわず美鳥の瞳から涙がこぼれ落ちてしまった。
抑えようとしても、次から次へと頬をつたって涙と一緒に熱い想いが溢れ出す。

そんな美鳥の頭を優しく撫でながら、一馬の歌が美鳥をすっぽりと包み込んでいた。

やがて、一馬は歌い終わると、もう一度美鳥を強く抱きしめた。

美鳥の瞳からは、まだ涙が止まることなく溢れだしていた。

「泣かせちゃったかな?」

「…うん。感動しちゃった。私のために誰かが歌を歌ってくれるなんて、今までなかったもの。カズの気持ちがすごく歌に込められていて…聴いていてすごく、嬉しくなっちゃった」

「よかった。美鳥に喜んでもらえて…。歌ったかいがあったよ。まぁ、こんなことしか出来ないけどね」

「ありがとう」


そう言うと、涙を指でぬぐって嬉しそうにニッコリと笑った。

美鳥の笑顔に、思わず愛しい想いが込み上げてきて、一馬はまた優しく美鳥を抱きしめると

「…少し眠ろうか」

と言った。


一馬の腕の中で、安心しきった顔で美鳥が眠っている。

ちいさく聞こえてくる寝息に、心地よい想いで、一馬は美鳥の寝顔を見つめていた。
この腕の中にある大切な人。いつまでも離したくない。ずっとそばにいたい。
もう後戻りは出来ないし、したくない。


今夜、帰らずにずっと一緒にいると決めた時から、一馬の胸の中には覚悟ができたのだ。
自分を今、本当に必要としてくれているのは、いったい誰なのか?

自分は誰と一緒に、この先の人生を歩んで行きたいのか?

誰も傷つけずにすむのなら、どんなに気持ちが楽だろう。けれど、ひとつ前に進むためには、何かを犠牲にしなければいけない。そうでなければ、前に進むことなんて出来ない。
一馬の家族を傷つけることに、美鳥が敏感になって自分を傷つけたりしなければいいのだけれど…。

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青い鳥のいる部屋 40

翌日も爽やかな気持ちのいいお天気になった。
 
朝起きたときから、一緒にいて顔を見合わせているのが、気恥ずかしいような…嬉しいような…

くすぐったい気持ちで、美鳥は一馬の顔を見つめていた。


「おはよ」

「うん?おはよ…」

一馬はまだ半分寝ぼけているように、いきなり美鳥に優しくkissすると、また美鳥を腕の中に抱きしめて眠ってしまった。


こんな朝を迎えられるなんて、思ってもいなかった。

私はなんて幸せなんだろう…

そう想いながら、まだ眠っている一馬の頬をそっと手のひらで包みこむように触れてみる。


「おはよ、カズ。私の大切な人…」

口の中で小さくつぶやくようにささやくと

「…ん~おはよ」

また美鳥にkissをして、眠そうな目をゆっくり開ける。

一馬は大きく伸びをして、また美鳥にkissをする。



「今日は鎌倉をまわって帰ろうか…」

「…うん」

「ん?どうした?」

今朝の半分寝ぼけて眠そうだった一馬の意外な一面と、今の隣の運転席でいつも通りに毅然としている姿の…

ギャップがすごく可愛く感じられて、美鳥はひとりでに微笑んでしまう。

「何笑ってるの?…思い出し笑い?」

「…うふ。だって、今朝のカズ、可愛かった」

「こらこら。男にかわいいなんて言うもんじゃないよ」

「ごめん」

「謝られるのも何だけどね。俺、寝ぼけてた?」


少し照れくさそうに聞いてくる。

「…うん。少しね」

「そうかぁ?寝起き悪くないんだけどな。なんか美鳥と一緒にいて、まったりしちゃったからかな?」

「私といるとまったりしちゃうの?」

「うん。美鳥、おっとりさんだからね」

「なぁにそれ?」




本当は朝のことは覚えている。

朝、目が覚めたら目の前に美鳥の顔があって、澄んだ眼差しで一馬の顔を覗き込んでいた。

ドギマギしてしまって、思わず寝ぼけているふりをして、美鳥にkissして抱きしめた。


でも、ゆうべは時間は短いけれど…気持ちよくぐっすりと眠ってしまった。

美鳥の隣にいると、気持ちがホッとして自然な自分に戻れる。

こんなに自分をさらけ出して一緒にいられる女性に出逢ったのは初めてだった。

恭子とでさえ、ここまで自分を見せたことはないように思う。

どんな自分を見せても美鳥なら真っ直ぐにそのままの一馬を受け止めてくれる、そんな確信が一馬にはあった。


「本当は鎌倉は、車じゃなくてゆっくり歩いて見てまわりたいなぁ。まだ紫陽花には少し早いけど…北鎌倉のほうにも足をのばすかい?」

「うん」

「車停めて少し歩こうか」

「うん。手をつないで歩きたいな」


ただ手をつないでゆっくりと歩きたい。

なかなかふたりきりで逢える時間をとることが出来ないから、こうして手をつないで歩ける時間は、一馬にとっても美鳥にとっても、かけがえのないとても大切な時間なのだ。


北鎌倉の街を散策して、途中よさそうなお店でお昼を食べた。

こうしてふたりして手をつないで歩いていると、一馬の隣には美鳥がいるのが当たり前のように、ごくごく自然な感じがする。

特別なデートというよりもむしろ、せっかくのお休みだからたまには鎌倉あたりに出かけようか、と言って出てきたような、そんな自然な感じだ。

 
美鳥は歩きながら見上げる一馬の横顔が好きだ。

いつも自然な笑顔でいろんな話をしてくれる。

その横顔を見つめていると、それだけでとても幸せな気持ちになる。

特に好きなのは、笑ったときに出来る目尻のシワなのだけれど、でも恥ずかしいので、一馬には内緒にしている。

一馬の隣を歩くのがあまりにも自然すぎて、時々、一馬に他に家族がいるということを忘れてしまいそうになる。

むしろ忘れてしまいたいのかもしれない。

一馬にとっても、こうして美鳥と逢っている時間のほうが、本当の自分で本当の時間という気がしている。


鎌倉の街は、温かくふたりを迎えてくれて、日常の延長のような穏やかな気持ちでゆっくりと街の中をふたりは歩いていた。

新緑が目にまぶしくて、木の葉が日差しに透けて見える。

柔らかな陽の光は優しくふたりを包み込んでいるようだった。

「紫陽花が咲いたらまた来たいな。紅葉の季節も綺麗だろうね」

「また来よう。ふたりでいろんなところに行って、一緒にいろんなものを見ようね」

「うん。嬉しい」

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青い鳥のいる部屋 41

表の人通りの多い道を避けて、細い道を見つけて歩いてみる。

「かわいい洋館だね。喫茶店かな?入ってみる?」

道の途中に静かな佇まいの洋館を見つけて、入ってみることにした。

洋館は、ほんの数組のお客さんでいっぱいになってしまいそうな小さな喫茶店で、入り口の近くには可愛らしい雑貨や人形が飾ってある。

「いらっしゃいませ」

店内には他にお客さんもなく、静かにクラシックが流れている。

小柄な老婦人が、にっこりと微笑みかけて、水を運んできてくれた。

一馬は珈琲、美鳥はミルクティーを頼むと窓際の席で静かに流れている曲に耳を澄ませていた。

「そういえば、カズ。お家になんて連絡したの?」

「うん…」

ゆうべは遅くに恭子の携帯に

〔 カラオケが盛り上がって朝まで歌うことになったから… 〕

とだけ、メールをいれた。

それに対する返信は、まだない。

「大丈夫だよ。心配しないでも」

「うん…でも…わがまま言っちゃってごめんね」

「いいよ。帰るの止めようって決めたのは、俺だから。美鳥は気にしないでいいよ」

「うん…でも、ごめんね」

もしこの事で、一馬の家庭での立場が悪くなったらどうしよう。そう思うと、美鳥は胸の奥が締めつけられるように痛む。

「入り口のところに美鳥の好きそうな小物があったよ。見てくれば?」

このまま顔を見合わせていたら、余計なことを一馬に言ってしまいそうで、美鳥は

「うん。見てくるね」

と言って席をたった。

置かれている小物達は、どれも売り物なようで、値段の書かれた小さなタグが付いていた。

ふと、美鳥が目をとめたのは小さなストラップだった。

四つ葉のクローバーでチェーンの先には小鳥がついている。

( …幸せの青い鳥… )

「どうした?欲しいもの、あった?」

美鳥がストラップを手にとって見ていると、一馬が後ろに立って、のぞきこんできた。

「どれ?ん、可愛らしいね。欲しいなら買ってあげるよ?」

どれどれ?と一馬も同じストラップを手に取って見ている。

「俺も買って、お揃いで携帯に付けようか?幸せの四つ葉のクローバーだね」

「ホント?お揃いに出来るの?…嬉しい!」

テーブルに珈琲とミルクティーを運んできた老婦人に

「すみません。このストラップも欲しいんですが…」

と、一馬が声をかけた。

「包んできましょう」

と言うのを

「いや、すぐにつけてしまいますから…このままでいいです」

と言って、受け取ると、美鳥にひとつを渡した。

「はい。プレゼント」

「嬉しい。ありがとう」

一馬に買ってもらったことも嬉しかったけれど、それ以上に、お揃いのものを持てるということが、美鳥には何より嬉しかった。

「これ、四つ葉のクローバーと一緒に小鳥がついてるでしょ」

「あ、ホントだ」

「あのね。カズは知ってるかな?『青い鳥』っていうお話」

「うん?チルチルミチルだっけ?幸せの青い鳥を探しに行ったら、結局は家にいた…幸せは近くにあるって童話だよね?」

「…うん。いちばん大好きなお話なの。チルチルミチルはどんなところに青い鳥を探しにいったか知ってる?」

「う~ん?森だったかな?」

「うん。森にも行くけど、いろんな国で探すんだよね…」


クリスマスの夜に魔女に頼まれて、チルチルとミチルの兄妹は青い鳥を探しに旅にでる。

魔女の魔法で見えるようになった、火の精・水の精・パンの精・牛乳の精・砂糖の精と、人間の言葉を喋れるようになった飼い犬のチロー・飼い猫のチレット、そして光の精と一緒に…。

最初に訪れたのは『思い出の国』

そこには、死んだおじいちゃん・おばあちゃんと小さな弟や妹たちがいた。
 
ただ、いつもほんの少し思い出してくれるだけで、この思い出の国で元気に暮らしていられるんだよ、って教えられる。

『思い出の国』で捕まえた青い鳥は、この国を出たら死んでしまった。


その後『夜の国』で捕まえた青い鳥は、黒くなってしまったり、『森』では、木々たちに襲われそうになって、青い鳥は捕まえられなかった。

『幸福の国』では、最初は「お腹がいっぱいなのに食べる幸福」だとか「欲しくないけど物を買う幸福」だとか

…目に見える幸福たちに出迎えられるけれど、チルチルの帽子についた魔法の石を回すと…

「母の愛のよろこび」たち、普段は目に見えない幸福たちが現れる。

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青い鳥のいる部屋 42

「…それでね、チルチルとミチルは最後に『未来の国』を訪れるの…。そこには、これから生まれてくる順番を待っている生まれる前の子どもたちがたくさんいるの」



『未来の国』の子どもたちは、チルチルとミチルを見つけて、「生まれるってどんなこと?生まれたらみんな喜んでくれるかな?…生まれるって素敵なこと?」

と、聞いてくる。

これから生まれる子どもたちは、みんな何かひとつ以上持って生まれて行かなくちゃいけない。

ある子は世界中の役に立つ発明だったり、また別の子は犯罪だったり…。

チルチルとミチルの弟になる子は、ハシカと水疱瘡と百日咳。


「…そんな子どもたちの中に、ずっと手を取り合って見つめ合っている男の子と女の子がいるの。

ふたりは時のおじいさんに“恋人たち”って呼ばれてて、ひとときも離れたくないのに、生まれる順番は

別々なの」


「時のおじいさん、この娘も一緒に生まれさせて」

「時のおじいさん、この子も一緒にまだここに居させてあげて」


だけど生まれる順番は、運命が決める。ふたりは離れ離れに生まれていかなくちゃならない…。


「絶対に君を探し出してみせるよ。

何百も何万も…何億の人がいても、僕は必ず君を見つけ出すよ」

「待ってるわ。ずっとずっと…待ってる。あなたが探し出してくれるのを。

きっと私は、世界中でいちばん、哀しいものになっているから…きっと私を見つけだしてね…」


「それって、僕たちが見る夢と同じじゃないか!?」

「そうなの。同じなの。夢を見始めたのが先なのか、お話を読んだのが先なのかは、わからないけど…。

だって夢はとっても小さな頃から見ていたから…」


そう言うと、美鳥は少し冷めてしまったミルクティーにやっと口をつけた。

「不思議な話だね。美鳥ひとりがそういう夢を見るんなら、その『青い鳥』のお話を読んだからかな、とも思うけど…。俺はそこまで『青い鳥』の内容を知らなかったもんなぁ」

「うん。私も子供の頃に読んだ『青い鳥』は挿し絵のある絵本で、たぶんここまで詳しくは描かれてなかったと思うの。今、話したのは高校のときに演劇部でメーテルリンクの戯曲を読んだから知ったのよ」

「『青い鳥』ってグリムやアンデルセンみたいな童話なんじゃないの?」

「うん。ちゃんとしたお芝居の脚本よ。ピーターパンもそうでしょ」

いつになく饒舌な美鳥に少し驚き感心しながら、また

「それにしても不思議だなぁ」

と言った。

ふたりがこうして出逢ったことも、何かしら意味があるのかもしれない。

( この世の中に偶然なんてない )

一馬はそう信じている。

だから…美鳥とこうして今、出逢ったことにもきっと何か意味があるのだ。

10代・20代の頃ではなくて、今、出逢ったことに…。

何百も何万も…何億の人の中から、今、僕が見つけ出した。大切な大切な僕の女の子。
僕が捜し出すのを、ずっと待っていてくれた。

( 僕がずっと捜していたのは、美鳥なんだな… )

今さらのように、そんな想いが胸に広がる。
 
そして、そう想う気持ちの裏側で、恭子や詩織、奏恵に対しての申し訳ない気持ちが一馬の胸をチクリと刺す。
どちらも大切だ。けれど、両方を選ぶわけにはいかないのだ。

美鳥を選べば、家族を傷つける。家族を選べば、美鳥を傷つけてしまう。

( 僕には決められない )

ずるいのかもしれない。

けれど、それが今の正直な気持ちだ。
家族を捨ててまで美鳥と一緒になるだけの覚悟もない。

だけど、やっとめぐり逢えた美鳥の手を離すことも、一馬には出来ない。

( 結局、俺は自分がどうしたいのか?考えることを避けている… )

きっと美鳥は、そんな一馬の気持ちに気づいていて、帰りたくないと思わず言ってしまったのだろう。

言ってしまってから、自分を責めて…ゆうべはこっそりと涙を拭っていたのだろう。美鳥はそんな子だった。

一馬にはそんな美鳥の気持ちが、痛いほどよくわかって辛かった。

( 美鳥を幸せにしてやれるのは、俺しかいないのに… )

何故もっと早く、出逢えなかったのだろう。
 
ふたりが出逢ったのが、今だということの意味は…いったい、何なのだろう。

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青い鳥のいる部屋 43

   10.曇り空






しばらく、ふたりは黙ったまま、少し冷めてしまった珈琲とミルクティーを飲んでいた。


美鳥から聞いた『青い鳥』の話~「未来の国」の恋人たち、たんなるお話じゃないか…と言い切れない、何かを一馬は感じていた。

作者のメーテルリンクは、本当にチルチルミチルみたいに幸せの青い鳥を探して旅をしたのかもしれない。

そして「未来の国」で、この世界に生まれてくる前の恋人たちに逢っていたのかもしれない。

それが一馬と美鳥の生まれてくる前の姿だったとしても…不思議じゃない気がする。


ふたりが別々の場所に帰っていかなければいけないことに、少しばかりの切なさを感じながら、喫茶店を後にした。

一馬が美鳥にプレゼントした、四つ葉のクローバーと青い鳥のストラップを付けた携帯電話を、美鳥は嬉しそうにバックにしまった。



「お帰り。ご飯は食べてきたの?」

家に帰ってきた一馬の顔をみて、恭子が聞いてきた。

「…いや」

「あら、食べてくると思ってたから、パパの分はないわよ」

「なんだ。何にもないの?」

「うん。冷蔵庫に冷やご飯ならあるけど」

そういうと恭子は今まで見ていたテレビのバラエティー番組に、また見入って笑い転げている。

こんなことなら、もっと美鳥とゆっくりしてくればよかった。

美鳥が一馬の家庭のことを気遣って、少し早めに帰った方がいいよ、と言ってくれたから、一馬ももう少し美鳥と一緒にいたい気持ちを押し隠して帰ってきたのだ。

仕方ないので冷蔵庫の中をチェックして、チャーハンでも作ることにする。

その間も恭子はテレビに見入っていて、一馬を気にする様子もない。

( 昔はこんなじゃなかったのにな… )

思えば確かに、一馬の方から恭子を好きになって告白して付き合いだして、一馬がプロポーズして一緒になった。

恭子の口から一馬に「愛してる」だとか、甘い言葉を聞いた記憶はあまりない。
 
かといって、恭子も一馬のことを好きだったから付き合い始めたのだろうし、一馬を愛していたからプロポーズにOKしてくれたのだろうけれど、何かと言えば子供たちに

「パパが泣いて頼むから結婚してあげたのよ」

「ママはボランティアでパパと結婚したのよ」

だとか言うのを、一馬は苦笑して聞いているしかなかった。

「違う」と言っても、きっと恭子はその時の状況を、子細漏らさずに克明に子供たちに説明するに違いないのだ。

子供たちも、その話は何回も聞かされていて、たまにわざと面白がって話を蒸し返したりする。

3対1ではかないっこないので、そんなときには一馬は何も聞かなかった振りをして、やり過ごしている。

ひとりで自分で作ったチャーハンをダイニングのテーブルで食べていると

「あれ?パパお帰りなさい。何食べてるの?美味しそう」

と奏恵が冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎながら聞いてきた。

自分の分ともうひとつコップに麦茶を注ぐと「はい」と一馬の前に置いてくれた。

「奏恵も食うか?」

「うん。チャーハンはパパが作ったほうが美味しいよね」

隣のリビングでテレビをみている恭子に聞こえないように、一馬の耳元に小さく言ってから、中華鍋に残っていたチャーハンをお皿に盛って、一馬の隣の椅子に腰掛けた。


「パパ、カラオケ楽しかった?何か新しい歌を歌ってみた?」

奏恵はどちらかといえば、一馬との方がよく話をする。

けっして母親と仲が悪いわけではないのだけれど、恭子とは必要なこと以外の話はあまりしていないようだ。

逆に詩織は恭子をそのまま小型にした感じで、最近は口の聞き方や話の内容もまるで恭子そっくりになってきていた。

よく女3人相手に一馬はひとりだと口ではかなわないと思っているが、3人でいても奏恵だけはわりと一馬の味方のような発言をしてくれることがある。

とはいえ、恭子と詩織のパワーに比べれば奏恵はまだまだ子供で、いつの間にか母親と姉に言いくるめられていたりするから、一馬の味方と言ってもはなはだ頼りないのだが。

「あぁ、こないだ加藤に教わった曲とFMで聴いていいなと思ってた曲を練習してみたよ」

「ふぅ~ん。友達の由美ちゃんがパパのこと、かっこいいねって言ってたよ。由美ちゃんのパパはカラオケでも演歌しか歌わないんだって」

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青い鳥のいる部屋 44

今までリビングで恭子とふたりで、バラエティー番組を見ていた詩織が二人を振り返って

「えぇ~、パパがかっこいいなんて由美ちゃん目が悪いんじゃないの?」

と、笑いながら話に加わってきた。

「あ~、奏恵ずるい!パパのチャーハン食べてる!パパ、私の分は?」

「お姉ちゃんの分なんてないよ。全部、私が食べちゃったもん」

「えぇ~、もうないの?パパ、私の分も作ってぇ」

「何だよ。夕飯食べたんだろ?」

「そうだけど、パパのチャーハン私も食べたいよ」

「なんだ。いつもダイエットとか言ってるくせに。作ってやりたいけど、もうご飯が残ってないよ」

「なんだ。つまんないの…」

「だいたい、お前いま…パパがかっこいいなんて由美ちゃんの目が悪いとか言ってなかったか?」

「やだ。だって、パパだってオジサンじゃん」

確かに娘たちの年頃からみればオジサンには違いないが…

「由美ちゃんだけじゃなくて、パパと文章の教室で一緒の渡辺菜穂ちゃんって子も、パパのことかっこいいって言ってくれるぞ」

「やだなぁ。お世辞に決まってるじゃない?そんなの本気にしちゃダメだって」

そうなのか…菜穂はお世辞を言いそうなタイプには見えないけれど…


一馬が少しがっかりした顔をしたのだろう

「大丈夫。パパはかっこいいよ。40過ぎには見えないよ」

奏恵がなぐさめてくれる。

「…ありがとう」

「でね、由美ちゃんがね、奏恵のパパはかっこいいから女の人にもモテるんじゃないの?って言ってた」


奏恵の一言にドキッとしてしまった。

恭子は3人の会話を聞いているのか、いないのか…無反応だ。

「そうだなぁ。パパのことを好きだって言ってくれる女の人が、どこかにいるかもしれないな」


「あ~、でた。パパの“夢の中の女の子”の話。最近あんまり聞かなくなったって思ってたのに…」

確かに美鳥と付き合い始めてから、家で“夢の中の女の子の話”をすることはなくなっていたかもしれない。

それでも、話が危ない方向に行かずにすんで、一馬は少しホッとしていた。

ただ、恭子が何ひとつ聞いてこないことが、かえって気にかかる。

一馬のことは別に気にしていないのか…逆に何か疑っているのか…

リアクションがないので、どちらにもとれるのだ。

かといって、下手に一馬から話を持ち出して、やぶへびになっても困るので、結局は一馬の方からも特に話しかけることもできないでいる。

「でも、私。パパのこと、かっこいいって言われて嬉しかったよ」

奏恵が食べ終わった食器を流しに運びながら、ちょっと嬉しそうな顔でそう言った。





アパートの鍵を開けると、美鳥は部屋の電気を全部点けてまわった。

全部といっても、2DKの古い小さなアパートだから、すぐに済んでしまう。

一日いなかっただけだが、リビングに使っている6畳の部屋の窓を開けて、空気を入れ替えてから、カーテンを閉める。
 
一人ぼっちの部屋は冬が過ぎて春から初夏に向かおうとしても、どこかヒンヤリとした空気が留まっている。

夕べ、無理を言ってしまったから、今日は自分に言い聞かせて、早めにデートを切り上げてきた。

たぶん、夕飯の時間には間に合ったはずだ。


美鳥はC駅のデパ地下で買ってきた、サンドイッチとサラダをテーブルの上に広げると、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出してきて、テレビを点けて座った。

テレビではバラエティー番組をやっていて、最近売り出し中のお笑いタレントが騒がしく喋っている。

チャンネルをいくつか切り替えてみたが、特に見たい番組もなかったのでスイッチを切った。

とたんに部屋の中を静寂が包み込む。


また一馬にわがままを言ってしまった。

最初は言ってしまってから、もし嫌われたらどうしよう、と自己嫌悪に襲われて、そんな自分が嫌いだった。

でも、一馬が美鳥の余分なちから~カラダや心に重くのしかかっている余分なちからをほぐしてくれる。

ありのままの自分でいいんだよ、と言ってくれるから…やっと美鳥は自分のことを少しだけれど好きになれそうな気がしている。


バックから携帯電話を取り出すと、そこにつけた一馬とお揃いのストラップを手のひらに乗せてみる。

初めてお揃いにした。

同じものを今、一馬も持っているのだと思うと、それだけで美鳥の心はドキドキと、なんともいえない幸福感で満たされていた。

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青い鳥のいる部屋 45

美鳥の手の中で携帯が鳴った。

ディズニーのリトルマーメイドの中の曲で“アンダー・ザ・シー”だ。

この映画は薫のお気に入りで、特にこの曲の流れる場面が好きで、家でビデオを見るときには何回も巻き戻して見ていたものだから、何となく薫のテーマソングのようになってしまって、当然この着メロは薫から指定されたものだ。



「もしもし」

『あ、美鳥。今どこ?』

「部屋だよ」

『どこか出かけてた?今、話しても平気?』

「うん。今、帰ってきたとこ」

『美鳥、明日って用事ある?会えないかな?』

「別に大丈夫だけど?」

『じゃあ、明日、美鳥んちに行ってもいい?美鳥の好きなモンブラン買って持ってく』

薫が美鳥の部屋にくることは、今までにもあったけれど、前日にわざわざ電話してくることは珍しい。

「いいけど、せっかくの連休なのに遊びに行かないの?大地くんと美晴ちゃんも一緒?」

『いや~、お子様たちはジジババとディズニーランドよ。もう今から興奮しちゃってさ』

「薫は一緒に行かなくていいの?」

『いいの、いいの。ジジババに任せておけば、楽しみとっちゃ悪いからね』

「ならいいけど。何時頃くる?お昼うちで食べるでしょ?」

『うん、何でもいいよ。ヤツらを駅まで送ってから行くから…でも10時頃には着いちゃうかな。一緒に買い出しに行ってもいいしさ』

「わかった。じゃあ、いったん直接うちに来るのね」

『うん、ちょっと話したいことがあって…』

「なぁに?」

『やぁ…明日、会ってから話すわ』

「なぁに?電話じゃダメなの?」

『ダメって訳じゃないけど…やっぱり、会って話す』

「珍しいなぁ~。薫がそんな思わせぶりなのって。気になるじゃない」

本当に珍しい。薫の性格だと、思ったことは何でもすぐに言わないと落ち着かないはずなのに。

「まぁいいか。久しぶりにゆっくり話したいものね」

『じゃあ明日!近くまで行ったらメールか電話するわ』



薫の賑やかな電話が終わって、部屋に静寂が戻ってきた。

もう今日は、熱めのお風呂に入って早めに寝てしまおう。

美鳥は、バスルームに行ってバスタブに熱めのお湯を入れると、お気に入りの入浴剤を入れて、ゆっくり湯船に体を沈めて…あとは何にもしないでベッドに潜り込むことに決めた。


翌日、10時ちょうどに薫が美鳥の部屋にやってきた。

「はい。お土産」

「ありがとう。あがって」

「やぁ、ケーキ冷蔵庫に入れちゃって。先に買い出しに行っちゃおうよ」

「そうね。ちょっと待ってて」

薫に手渡されたケーキの箱から、ドライアイスを取り出すと冷蔵庫に入れてから、美鳥は手早く身支度をして部屋から出てきた。

「車で来てるから、ショッピングモールまで行かない?」



ショッピングモールは車で20分くらいのところにある。

かなり大型で日用品から洒落たものまで…いろいろ揃っているのだけれど、ふだん車のない生活をしている美鳥は、あまり行ったことがない。

「薫がうちに来るのも久しぶりだね」

「うん。なかなか忙しくてゆっくり時間が取れなかったからね。半年ぶりくらいかな?」



外では会っていたが、美鳥の部屋に薫が遊びにくるのは、B文化センターの見学に一緒に行った時以来だから、もう半年以上前のことだ。

ショッピングモールをぶらぶらと見ながら、ふたりは久しぶりの会話を楽しんでいた。

最後に敷地内にある大型のショッピングセンターで、食材を仕入れて薫の車に積み込んだ。

「ところで…話ってなぁに?」

「うん…お昼作って食べてからにしようよ」

「なぁに?本当に思わせぶりねぇ」

とりあえず美鳥の部屋に戻ると、買い込んできた食材でふたりでお昼を作った。

いつもは一人分だけだからいろいろと作って食べたくても、材料を無駄にしてしまいそうであまり品数を作れないが、今日はふたり分。いつもより品数も量も豊富だ。お腹いっぱいに食べて、さんざん喋りまくって、やっと気になっていた薫の話を聞き出すタイミングを美鳥はつかまえた。

「で、薫の話って何なの?もう教えてくれてもいいでしょ?」

「…うん。あのさ、美鳥、おととい横浜にいなかった?」

言いにくそうに切り出した、薫のひとことに美鳥は自分の顔色が変わるのがわかった。

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青い鳥のいる部屋 46

「おとといね、うちのダンナと横浜に行ったのよ」

美鳥が何も言えずに黙っていると、薫が静かに話し出した。




   薫と薫の旦那~仁志は、毎年ふたりの結婚記念日の4月30日に子供たちを

   薫の両親に預けて、ふたりだけで夕食を食べに出掛けるのが、結婚してからの

   毎年の約束だった。

    その年によって出掛けていく場所はいつも違うのだが、今年は横浜のホテル

   のレストランで夜景を見ながら食事をした。
 
   その帰り道で、偶然美鳥の姿を見かけたのだ。



   最初に気がついたのは、仁志だった。

   「あれ?あそこにいるの、美鳥ちゃんじゃないか?」

   「え?どこどこ?」

   「ほら、横断歩道の向こう側。あ~、連れがいるな」



   薫が仁志の指し示した方を見ると、確かに美鳥が横断歩道のところに

   立っている。

   あの足をキチンと揃えて立つ立ち姿は、間違いなく美鳥だ。

   そして、美鳥の隣には男性の姿があった。


   「あら~、美鳥ったらいつの間に…」

   どこで見つけてきたんだろう。そう思いながら、美鳥の隣の男性をよく観察して

   見ると…

   どこかで見た顔である。

   「ありゃ、やばいんでない?」

   「何?薫の知ってる人?」

   「うん。何回かクローバーで会ったことある。あ~、美鳥の誕生パーティーにも

   来たよ。菜穂ちゃんが呼んで…」

   「へぇ~、で、やばいワケ?」

   「…確か妻子持ちだったはず」

   「なんだ?美鳥ちゃんが不倫かよ?」

   「う~ん、まだそうと決まったわけじゃないけど…でも、どうみても恋人同士に

   見えるな~」



    そして信号が青に変わって、美鳥と連れの男性~一馬が、薫たちのいる方へ

   向かって横断歩道を渡り出した。


   「やばっ。顔合わせないようにした方がいいかなぁ」

   慌てて、薫が仁志の袖を引っ張って、赤レンガ倉庫の陰に移動した。

    けれど美鳥と一馬は…横断歩道の途中で、ふたりだけの世界に入って

   しまった。





「本当は声かけようかとも思ったんだけどさ」

「…うん」

「美鳥。私はまた美鳥が傷つくんじゃないかって、それが心配なの」

「……」

「あんまり本気にならないほうが、いいと思うな…」

「…ごめん」

「やだ。私に謝ることじゃないでしょ」

「…うん」

「美鳥?大丈夫?」

「ごめんね、心配ばっかりかけて…」



美鳥の顔を見て、薫には美鳥の気持ちが手に取るようにわかってしまった。

「美鳥…。傷つくのはあんただよ?いくら好きになっても、川相さんには奥さんと子供がいるんだよ?」

「うん…」

「…ふぅ。で、川相さんはなんて言ってるの?完全に遊び…って割り切ってる…わけないよね?あの人、真面目そうだもんね」

「…大切にしてくれてる」

「でも、奥さんと別れてあんたと一緒になるってつもりはないんでしょう?」

「…そういう話はしてないから…」

「まったくなんで…もっと他にもいるでしょうに。…でも、まぁわからなくはないけどさ。川相さんいい人だし、美鳥が捜し求めてた夢の人みたいなとこあるもんね」



やれやれ…と薫は美鳥の肩を抱き寄せて

「しょうがないなぁ」

と、ため息をついた。



「こら…泣くな。私は美鳥に幸せになってほしいの。ただそれだけなの。苦しくなったら、ちゃんと私に言いなよ?ダメだよ!自分ひとりで抱え込んじゃ」

「…うん」



よしよし、と美鳥の背中を撫でながら、何があっても私だけは美鳥の味方でいてあげようと薫は思った。

おせっかいかもしれないけれど、それだけ薫にとって美鳥は、大切な大切なかけがえのない親友だったから。



美鳥の部屋に夕方までいて、薫は帰っていった。

美鳥と一馬がどうやって親密な関係になったのか、美鳥からふたりの馴れ初めを聞いて

( そりゃ、惚れるなってほうが無理だわ )

と思った。


美鳥の気持ちは、痛いほどよくわかる。

一馬の気持ちも…なんとなくわかるような気がする。

( 川相さんが独身だったらねぇ、喜んで応援しちゃうんだけどなぁ。美鳥には、川相さんみたいな人がピッタリだもんな。もうっ!川相一馬!なんで結婚なんてしてんのよ~! )



とりあえず美鳥が今まで以上に傷つくことのないように。

薫には祈ることしかできないけれど。


( 放っとけないよ。やっぱり… )


美鳥には内緒で、川相さんに会ってひとこと言ってやろう。

今度の土曜日に…。

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青い鳥のいる部屋 47

ゴールデンウイークのあけた土曜日。

一馬がB文化センターに行くと

「川相さん」

と、声をかけられた。

「私のこと、覚えてます?」

「えっと、たしか…山田さん。山咲さんのお友達だよね?」

「よかった、覚えててくれて。あとで時間とってもらいたいんですけど。美鳥のことで」

美鳥の親友だというこの女性が、美鳥のことで話がある、という。

「美鳥には内緒なんです。今、ちょうど美鳥はピラティスのレッスン中だから…」

「僕もこれから、講座の時間なんだけど…」

「知ってます。終わってからだと、美鳥に会いそうだし…。講座が終わったらどこか場所を決めて、会ってもらえますか?クローバーはまずいから他の喫茶店で」

「じゃあ、駅の反対側に“木村珈琲館”って喫茶店があるから、そこで待っててもらえますか?一時間半くらい後になっちゃうけど」

「はい。お待ちしてます。…でも、よかった。川相さんが早めに来てて。ギリギリだと声かけられるか心配だったんで…」



それじゃあ、待ってます…と言って薫はエレベーターに乗っていった。




文章の講座の間も、一馬は落ち着かなかった。

美鳥のことで話があるということは、薫が一馬と美鳥の関係をある程度は知っているということだろう。

美鳥が話したんだろうか…。

何を言われるんだろう。



講座が終わると、挨拶もそこそこに教室を抜け出して、約束の喫茶店に向かった。


 
木村珈琲館の扉を開けると、奥の席に薫が座っているのがみえた。

「すみません。お待たせしました」

「いえ、こちらこそ。時間つくっていただいてありがとうございます」

堅苦しい挨拶をしたが、一馬が頼んだ珈琲がきたところで

「ごめんなさい。回りくどいこと嫌いなんで、単刀直入に言ってもいいですか?」

と、薫が話を切り出した。


「川相さんと美鳥ってお付き合いしてるんですよね?」

「…美鳥、山咲さんから聞いたんですか?」

「はい。でも、美鳥が自分から進んで話したわけじゃなくて…連休中の30日に、私が偶然横浜で見かけたんです」


見られてたのか…

ふたりの地元からは離れているから、誰かに会うことはないだろうと思っていた。


「美鳥は、川相さんには大切にしてもらってる、って言ってました。でも、私、川相さんの口から直接はっきり聞きたいんです」

薫は一馬の目をしっかりと見据えて、はっきりとした口調で聞いた。

「本当に美鳥のこと、大切に思ってくれてるんですね?

美鳥はああいう性格だから、自分の気持ちをはっきり言わないし、きっと川相さんに気持ちを押し付けたり出来ないと思う。でも、横浜で見かけた美鳥の幸せそうな顔…しばらく見てなかったから。

本当にあの子は川相さんのこと、好きなんだと思うんです。だから…美鳥を傷つけることは、して欲しくないの」

「……」

「川相さんがどう思ってるかは、私の口出しできることじゃないし、おせっかいは承知です。…でも、もし、もし本気じゃないなら…遊びのつもりなら、美鳥に優しくしないで下さい」


 
美鳥にはこんなに心配してくれる友達がいるんだな、と一馬は自分が責め立てられているにもかかわらず、自分のことのように嬉しかった。

「けっして遊びのつもりはありません。…今の時点では、それだけしか言えないけど。本当に美鳥のことは大切に想ってるし、大事にしていくつもりです」

「じゃあ、川相さんを信じていいんですね?」


一馬が頷くのを見て、それまで険しかった薫の表情が一気に柔らかくなった。

「よかった。それだけ聞きたかったの。美鳥のこと、よろしくお願いします」



それじゃ…と言って薫は帰っていった。

( 本当に、単刀直入に言いたいことだけ言って、帰っていったな )

本当はもっと一馬に言いたいことがあるだろう。

美鳥を大切にする、と言っておきながら、奥さんと別れて美鳥と一緒になる気があるのか?とか、

美鳥を捨てたら許さない、とか…。

でも、一馬のことには口を出さずに、今の一馬の美鳥に対する気持ちだけを確認して帰っていった。

もちろん、薫に言われなくたって、一馬は美鳥が大切だし、幸せにしたいと想っている。

遊びのつもりなんて、これっぽっちも考えたことはない。

 
それでも家族を捨てて、美鳥と一緒になる、というだけの決心が今の一馬にはまだ出来なかった。

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青い鳥のいる部屋 48

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          11.雨の物語




そろそろ関東も梅雨に入ったのか、はっきりしない天気の日が毎日続いている。


一日一緒のお休みは、なかなかとれなかったけれど、土曜日の文章の講座の後や、美鳥がお休みの平日の夜に、ちょっとした時間だけでも、ふたりは自分たちの時間をみつけて過ごしていた。


一馬の夏休みには一泊で遊びに行きたいね、とも話していたし、逢えない日が続いても電話やメールで、少しでも繋がっていられるようにと…時間がたてばたつほど、お互いを愛しい気持ちが強くなっていった。


『お疲れさま!美鳥はもう部屋に着いたのかな?』

『うん、カズはいまどこ?』

『家の近くの本屋だよ。欲しい本を探してくるって出てきたから』

『今週は時間がなかなか合わないね。明日も夜はダメなんでしょう?』

『うん、ごめんね。人が来ることになってるから…』

『じゃあ…次は土曜日の講座のあとだね』

『うん。早く美鳥に逢いたいよ…』



時間がとれなくてなかなか逢えないと、逢いたい気持ちが余計に募ってきてしまう。


『うん…私も。早くカズに逢いたい…』


心なしか、美鳥の声が潤んでいるようだ。

と、一馬が思ったとたん

『くしゅん!』

と受話器の向こうで、美鳥の可愛らしいくしゃみが聞こえた。

『美鳥、大丈夫か?』

『うん。大丈夫…くしゅんっ!』

話しているそばから、またくしゃみだ。


『もしかしたら風邪ひいちゃった?』

『そうかな?…でも大丈夫だよ』

『でも気をつけてね。ちゃんとうがいと手洗いするんだよ』

『うん』

『なんか心配だなぁ』

『大丈夫。ちょっとくしゃみが出ただけだから』



美鳥は頑張りやさんだから、すぐに無理をする。一馬が気をつけて、美鳥の肩の力を抜けるようにしてあげないと、自分からは決して弱音を吐けないから。

一馬はそんな美鳥が心配で仕方ないのだ。

自分が付いていてあげないと…という気持ちになってしまうのだ。

『ちゃんと早く寝るんだよ?遅くまで起きてちゃダメだからね』

『はぁ~い』



一馬が自分のカラダを気遣ってくれるのが嬉しくて、美鳥もついつい甘えてしまう。


『うふふ』

『ん?どうした?』

『カズったら、心配性だね』

『美鳥が頼りないからな』

『ひっどぉい』

『冗談はともかく、風邪は引き端が肝心だからね。甘くみちゃダメだよ』

『うん』

『じゃあ、土曜日にね』

『うん、土曜日に』

『愛してるよ』

『私もよ。愛してるわ』

『じゃあ、おやすみ』

『おやすみなさい』



美鳥のくしゃみは心配だったけれど、あまり遅くまで話し込んでしまうと、きっと疲れてしまうだろう。

そう思って一馬は会話を終わらせた。

美鳥も、あまり一馬を引き止めて、一馬が家族に責められたり疑われたりしたら困る、と思い、まだ話し足りないのを我慢した。



土曜日、ようやく美鳥に逢えると、一馬は少し気持ちを高ぶらせながら、クローバーの扉を開けた。

店内をグルッと見渡したが、いつも先にきて紅茶を飲んでいる美鳥の姿は、まだ見当たらない。


(あれ?めずらしいなぁ。まだ来てないなんて…)


いつもの席に落ち着くと、いつも通りに珈琲を頼んで、一馬は持っていた雑誌に目を落とした。



カランカラン



扉が開くたびに入り口に目を向けるけれど、美鳥の姿はない。

(どうしたんだろう…)

とりあえずメールを送ってみるか…ピラティスが終わって、一緒に習っている人たちに捕まってるのかもしれない。


〔 どうしちゃったのかな?まだ終わらないの? 〕

メールを作って送信のボタンを押したところで、また入り口の扉がカランカランと音をたてた。

今度こそ、美鳥が来たのかと入り口に目を向けると、入って来たのは菜穂だった。

「あっ、カズさんだぁ~」

「なんだ。菜穂ちゃん、帰ったんじゃなかったのかい?」

「今日はこれから、おばあちゃんちに行くんだ」

「おばあちゃんちに行くのに、こんなとこで道草くってていいの?」

「薫さんと待ち合わせしてるの」

「へぇ~」

「美鳥さんに本を渡す約束だったんだけど、今日のピラティス休んだっていうから」

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青い鳥のいる部屋 49

美鳥がピラティスを休んだ。そのことを知らずに、珈琲なんか飲みながらのんびりと美鳥がくるのを待っていた。

一馬は菜穂からは見えないように、携帯の着信履歴をチェックした。

美鳥からは着信もメールも入っていないようだ。

念のため、メールセンターに新着メールの問い合わせをしてみる。

「美鳥ちゃんから連絡が来たの?」

「ううん。センターにお休みの連絡が来ててね、受付の人に菜穂へのことづけを頼んでたみたい」

「そうか…」

携帯を見ると、美鳥からのメールはメールセンターに留まっていたようだ。

〔 風邪ひいちゃったみたいf^_^;

熱っぽいから今日は出掛けないで寝てるね。ごめんね 〕

やっぱり風邪をひいてしまったのか…。

熱っぽいってことは、相当具合が悪いんだろうか…。

美鳥の容体が気にかかる。



「ねぇ~カズさん、聞いてる?」

「あ、ごめんごめん」

考え込んでいて、菜穂が話しかけていたことに気付かなかった。

「美鳥さん、一人暮らしだし、大丈夫かなぁ。風邪ひいちゃったときに、ひとりぼっちって…

すごい心細いよね」

「…そうだね」

「でも…きっと美鳥さん、恋人いるよね?」

「えっ!?」

「やだ、カズさんは気がつかないかな~。だって最近の美鳥さん、すごい綺麗になったと思わない?」

菜穂の突然の発言にドギマギしながら

「そうかな?」

と言うと

「うん。絶対そう!でね~、菜穂が思うには…相手は“ペガサスさん”だね、きっと!」

「!?」

思わずむせそうになりながら、なんとかごまかして

「ぺ、ペガサスさん?」

「あ~、そう言ってもわかんないよね?カズさん、ブログって知ってる?」

「うん」

「菜穂と美鳥さん、ブログやってるの。でね~、美鳥さんのブログによく遊びに来てコメントしてるんだ、ペガサスさんって」

「へぇ~」

「あ、ペガサスさんってハンドルネームだよ。ハンドルネームってわかる?

ブログの中のニックネームみたいなものなんだけど」

「わかるよ」

「でね、このペガサスさんのコメントがすごい優しいの。愛にあふれてるの」

「……」

「でね、ペガサスさんのブログにも美鳥さんがコメントしに行ってるんだけど、恋する乙女なの」

「……」

「ペガサスさんも自分のブログでポエム書いてるんだけど、ロマンチックなんだぁ。

カズさんに負けないくらいロマンチックなの」

「……」

「でね、でね、ペガサスさんのポエムはきっと美鳥さんに宛てたラブレターなんだよ、きっと」

「…ラブレター」

「うん!絶対そう!」

「そうなのか…」



読んでてわかるのか…



「あれ?カズさん、ひょっとしてショック受けてるの?」

「えっ、いやぁ~」

「菜穂ちゃん、大人をからかっちゃダメよ」

「あっ、薫さ~ん」

いつの間にか、薫が二人のそばに来ていて、菜穂の頭をぽんぽんとたたくと、菜穂の隣の席に腰をおろした。

「菜穂ちゃん、あんまりのんびりしてられないんでしょう?」

「あ~、そうだった!じゃあ薫さん、この本、美鳥さんに返しておいてね」

「はいはい。気をつけて行ってらっしゃいね」

「うん!じゃあ、よろしくお願いしまぁす!じゃあね、カズさん、バイバーイ」

嵐が通り過ぎて行ったかのように、菜穂が店の扉を開けて飛び出していった。


「美鳥、具合が悪いんですって?」

「そうみたいだね」

薫は菜穂から預かった本を、パラパラとめくりながら珈琲をひとくち飲んだ。

「その本…」

「あ~、これ?美鳥の愛読書よ」

はい、と一馬に手渡してくれる。

「青い鳥…」

「なんか、菜穂ちゃんの高校で文化祭でやるらしいのよ。菜穂ちゃんも、もう高三で今度が最後の文化祭でしょう。張り切ってるみたいよ」

ついこの前に、美鳥から『青い鳥』のお話の内容を教えてもらったばかりだ。

自分たちと未来の国の恋人たちの姿が重なる。

「美鳥、ひとりで心細いだろうな」

「それ、菜穂ちゃんにも言われたよ」

「そう?まぁ、私が川相さんにどうこう言えないけどね」

「それって、俺に美鳥の見舞いに行けってこと?」

薫の言葉に苦笑しながら言うと

「だからそれは、川相さんがどうしたいか?で、私が口出しすることじゃないから」

そう言いながら、珈琲を飲み干すと、自分の分の伝票を持って席を立った。

「その本、川相さんから返してあげてくれるかしら?私はしばらく美鳥んちに行けそうもないから…」

一馬はしばらく預かった『青い鳥』の本の表紙を見ていたが、小さく息をつくと“未来の国”のページを開いてみた。

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青い鳥のいる部屋 50

窓の外ではいつの間にか、静かに雨が降り出していた。

この雨の中、美鳥はどんな気持ちでひとり部屋のベッドで眠っているのだろう。

人一倍寂しがり屋で、ひとりでいることが耐えられないはずなのに、いつも強がって自分から甘えることが出来ない。

そんな美鳥を全部分かってあげられるのは自分だけだ、と一馬は強く思った。

( 眠っているかな? )

もともと今日は美鳥と逢うつもりだった。

薫に言われなくても、美鳥の容体が気になってこのまま家に帰れるはずがない。

〔 大丈夫?心配だよ。熱は高いの? 食欲はある?今すぐ美鳥のそばに飛んで行きたいよ〕

美鳥にメールを送ると伝票を持って席を立った。


美鳥のアパートへ向かう道の途中で、わりと大きなスーパーマーケットを見つけて、車を駐車場に入れた。

今すぐ食欲がなくても食べられそうな物を作るつもりで、食材を買い物カゴに入れる。

雨足はさっきより強くなっていて、外は真っ暗だ。

〔 返信遅くなってごめんね。ずっと寝てた。朝よりはだいぶ楽になったみたい 〕

美鳥から返信がきて、少しホッとする。

〔 電話掛けていいかな? 〕

待つほどもなく、美鳥から電話がかかってきた。

『もしもし…』

『もしもし、ごめんね。心配かけて』

『大丈夫なの?熱は下がった?』

『うん。朝よりはだいぶ良くなってきたみたい』

『食欲はあるの?何か食べた?』

『昨日から何にも食べてない…』

『食べられないの?』

『うん。でも大丈夫だよ。少しずつ食欲も出てきたから』

『よかった。じゃあ、カズ特製の玉子粥を作ってあげるよ』

『えっ!?』

『他にも食べたいものがあれば、作ってあげるよ。何か食べたいものある?』

『うちに来てくれるの?』

『うん、心配でほっとけないよ』

しばらくの沈黙のあと、受話器からしゃくりあげるような美鳥の小さな息づかいが聞こえてきた。

『もしもし…美鳥?』

『うん。…うん』

『泣いてるの?』

『…だって、カズ優しいから…』

『莫迦だなぁ。当たり前だろう。言っただろう大切にするって』

『いいの?帰るの遅くなっちゃうよ?』

『そんなこと心配しないでいいよ。俺が美鳥に逢いたいんだから』

『ごめんね』

『いいんだよ。美鳥は風邪を治すことだけ考えて…着くまでまだ時間かかるから寝てていいよ』

『うん』

『着いたら電話するから』

『うん』

『安心しておやすみ』

『うん』

電話を切って会計を済ませて建物を出ると、さっきまでより強い雨が地面を叩いていた。



今日は逢えないと思っていた。

精一杯の強がりを言っていたが、一馬が美鳥に逢いに来てくれると聞いて、いっぺんに心のつかえが取れてしまった。

それだけ美鳥にとって一馬の存在は、大きくかけがえのないものになっていた。

それでも元気な時には、まだ心のどこかで必死になってブレーキをかけている自分がいた。

これ以上好きになってしまったら、辛すぎるから…

愛してる、大切にする、と言ってくれていても、一馬には奥さんも子供もいる。

その人たちを押しのけてまで幸せになりたいなんて、決して思ってはいけないのだ。

それに一馬が家で家族といる時間をどう過ごしているのか?

気になるけれど…怖くて聞けない。

一馬は自分のことを、隠さずに美鳥に話してくれるけれど、それでも聞き出せないこともある。



例えば…ふだん家にいるときはどんなふうなんだろう。

お休みの日には家族~詩織ちゃんや奏恵ちゃんとどんな会話をしているのかな。

きっと美鳥が聞かせてほしいといえば、一馬は家での様子を過不足なく教えてくれるだろう。

でも、その空間には美鳥はいないのだ。

聞いてしまってそのことに傷つくのが怖い。

美鳥が傷ついてしまったことに、一馬が気がつくのが辛い。


もう少し早く出逢えていたなら…一馬と家庭を築いているのが自分だったなら…と、考えても始まらないことを考えてしまう。

温かい家庭を築きたかった。

だから余計に、一馬の優しさが美鳥の胸を締めつける。

いつも、これ以上一馬を好きになりすぎないように、その想いを美鳥は抱えている。

だけど…ふと一馬の優しさに寄りかかりたくなってしまうのは、風邪のせいなんだろうか?

ベッドに横になってはいても、美鳥に眠りはなかなか訪れそうになかった。

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青い鳥のいる部屋 51

美鳥の住む街に一馬が着く頃には、雨はかなり激しく降ってきていた。

まだ夜と呼ぶには早い時間なのに、辺りは真っ暗で強い風が吹いている。

そのせいで思ったより時間がかかってしまった。


早く美鳥に顔を見せて安心させたい。

ようやく美鳥のアパートが見えてきた。

いつもは美鳥を降ろしてすぐにトンボ帰りしてしまうから、一馬が美鳥の部屋にあがるのは今日が初めてだった。


アパートの前に車を停めると、まずは電話をかけてみる。

『もしもし。着いたよ』

『ホントに来てくれたんだ…』

『うん。ホントに来ちゃったよ。今、アパートの前なんだけど、車ここに停めといても平気かな?』

『うん。短い時間なら大丈夫だよ』

『時間長くなったら、やっぱりマズイかな?』

『大丈夫。うるさい人はいないし…あ、お隣が旅行に行ってるから、置かせてもらっても平気かも』

『じゃあ、今から部屋へ行くね』

電話を切って買い物した荷物を手に、アパートの階段をのぼる。

美鳥の部屋の前までくると、ノックする前に部屋のドアが内側から開けられた。

「来ちゃったよ」

「お帰りなさい」

「うん。ただいま」

荷物を足元に下ろすと、優しく美鳥の体を抱きしめた。

しばらくそうして、じっとお互いの鼓動と温もりを感じていた。

「ごめん。寒いだろ。ベッドに横になってなよ」

「うん…」

「美鳥?部屋に入らないと…風邪ぶり返しちゃうよ?」

「もう少しこのままじゃダメ?」

美鳥に下から顔をのぞき込まれて、一馬はちょっと笑いながら

「ダメ。風邪ひいてるんだから」

と、軽く“めっ”としながら

「ほら、おとなしくベッドに入って」

優しく背中を抱かれて、美鳥は部屋に入りベッドに腰をおろした。

「ちゃんと布団の中に潜り込まなきゃダメだよ」

「はぁ~い」

おとなしくベッドに潜り込むと、布団の中から手を差し出してきた。

「お願い。手をつないでて…」

美鳥の差し出した右手を一馬の左手が受け止める。

一馬はベッドの隅に腰掛けると、その手に自分の右手も添えて、美鳥の手を優しく包み込んで愛撫する。

「俺、美鳥のこの手が大好きなんだ。柔らかくて温かくて。美鳥の優しい心をこの手が物語ってるよね」

「…嬉しい。そんなこと言われたの初めて」

「いつまでもこうして、この手をつないでいたいな。俺が守っていきたいよ」

(そんなこと言われたら…嬉しくて涙が出ちゃうよ)

美鳥は何も言えずに、黙って一馬の顔をみつめている。

「美鳥。愛してるよ」

一馬がその視線をしっかりと受け止めて、美鳥の唇に優しくくちづけをした。



不意に美鳥の心の奥から熱い想いがこみ上げてきて、気がつくと声を押し殺して泣いていた。

「美鳥?また、泣いているの?泣かないでいいんだよ?俺がずっとそばについているよ」

一馬の言葉に美鳥の涙は、今まで以上に溢れ出してしまう。

美鳥がずっと欲しかった言葉。



「美鳥?…美鳥」

美鳥の手を優しく包み込んでくれているその一馬の手を、美鳥は自分の胸に抱きしめるようにして引き寄せると、堪えていた想いが涙と一緒になって溢れ出して、いつしか抑えていた泣き声も我慢できなくなって嗚咽をもらしていた。

「美鳥?何で泣くの?俺はずっとここにいるよ?ずっと美鳥の隣にいるから大丈夫だよ?」

一馬の右手が美鳥の髪に…涙で濡れる頬に優しく触れる。

「…ごめんなさい。私…」

「ん?どうした?何が悲しいの?」

「私…カズが好きなの。もう止められないの」

「俺も美鳥が好きだよ。気持ち止めなくていいんだよ」

「…でも、不安なの。こんなに好きになりすぎちゃって、カズがいなくなったら…ものすごく不安なの」

「いなくならないよ。ずっと一緒にいるよ」

「…うん。でも、不安なの。私…カズのこと何にも知らない。カズは自分のこと、いっぱい話してくれるけど…。このまま、突然いなくなっちゃったら…電話もメールもつながらなくなったら…どうしようって不安なの」

「俺はそんなことしないよ。ずっと美鳥と一緒にいるよ。ずっと美鳥を離さないよ。いつでも美鳥が振り返ったら後ろにいて、ちゃんと抱きしめてあげるよ」

「ごめんね。信じてるのに…」

「いいょ。大丈夫だよ。誰が俺たちを引き離そうとしても、俺は美鳥を離さないよ。絶対に!…だから、安心して信じていいょ」

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青い鳥のいる部屋 52

声をあげて泣き出しそうになるのを、懸命にこらえて、顔をくちゃくちゃにしている。

そんな美鳥が、なおさら愛おしくて、一馬は黙って唇をそっと重ねる。

くちづけは涙の味がした。



しばらくそうして泣いたあと、美鳥はまだ涙で、言葉にならない声で

「…ごめんね。…ごめんね」

と、ただ繰り返していた。


「何が、ごめんね、なの?…泣き虫だなぁ、美鳥は…。俺が美鳥を不安にさせて泣かせちゃったんだね。俺の方こそごめんね」

「…ううん。ごめんね…泣いてばかりで…ごめんね。…好きになっちゃって…わがまま言ってごめんね」

喋ろうとすると、余計に涙があふれてくる。

美鳥は自分でも、何を言っているのか、何が言いたいのか?わからなくなっていた。

「泣きたいだけ泣いていいょ。今まで我慢してたもの、全部吐き出していいんだよ。

俺が全部受け止めてあげる。声をあげて泣いていいんだ…」


いつしか一馬まで美鳥と一緒になって泣いていた。


美鳥が愛しくて愛しくて…気持ちが…心が…まるで美鳥と同化してしまったように。

俺が美鳥を守ってあげなければ…という想いで、一馬の胸の中はいっぱいになっていた。

美鳥に、声をあげて泣いていいんだよ、と言いながら、実際に声をあげて泣いているのは一馬だった。


美鳥は一馬が突然、声をあげて大粒の涙をこぼして泣き出したことに、驚きながらも感動していた。

私のために、泣いてくれている…。

「…やだ。カズ泣かないで…泣いちゃやだ。私のために泣いたりしないで…」

「…だって…美鳥…好きなんだよ。好きで好きでたまらないんだ。俺がいるから。

いつも、美鳥のこと大切に守っていくから…。だから、美鳥ひとりじゃないからね」


ふたりはいつしか、抱き合ったまま、声をあげて子どものように泣いていた。

この瞬間にまた、ふたりの気持ちはひとつ深いところで結ばれたようだった。


一馬は、こいつには俺がついていなければダメだ…と想ったし、美鳥は、なにがあっても一馬とは離れたくない…と想った。



「…落ち着いた?」

ふたりしてひとしきり泣いたあと、一馬は美鳥に何回も優しくキスをしながら聞いた。

「…うん」

キスを返しながら、美鳥が応える。

しばらくそうして、どちらともなく優しいキスを繰り返していた。

「ごめんね。いっぱい泣いちゃって。カズが優しいから…」

「わかってるよ。だから…俺の前では、自然体でいて欲しいんだ。泣きたい時は泣いて、嬉しい時は笑って…。

俺も美鳥といると、自然体で本当の自分にかえれる気がするんだ」

「…うん」

「俺の方が、たくさん泣いちゃったもんな。今まで、ひとりの時しか泣いたことなかったんだけどな」

「…うん…ありがとう」

「カッコ悪いよな~。でも、美鳥の前だとカッコつけても仕方がないし…こんなふうに、カッコ悪いところも俺だからさ。ちゃんと全部見ておいて欲しいよ」

いつもの優しい笑顔で、美鳥の顔を覗き込んで一馬がニッコリと微笑んだ。


今まで生半可な気持ちで美鳥と付き合ってきたつもりはない。

けれど心のどこかで、ずっとこのままの関係が続いていくのかな?と思っていたことも確かだ。

美鳥を愛おしく大切に想う気持ちに変わりはない。

とても大切で、誰にも渡したくはない。

自分のことだけ愛していてほしい。

ただ、そう想う気持ちも本物なら、家族を守らなければ…父親としての責任をしっかりと果たさなければ…と思う気持ちも、やはり本物なのだ。


自分のそんな気持ちが美鳥を不安にさせていたのかもしれない。

いくら想いを込めて「愛してる」と何万回言っても、確かな約束を美鳥にしてあげることは出来なかった。

そんな一馬の気持ちを敏感に感じとって、美鳥は不安な心をじっと自分の中に抱え込むようにして堪えていたのだろう。

決断しなければいけないのかもしれない。

「あっちもこっちも」と言っていては、どちらに対しても裏切っていることになる。

一馬はひとりしかいないのだから、一馬の心も~真実の愛もひとつしかないのだ。



そして、今自分が本当に一緒に生きていきたいのは…10年先、20年先…最期の瞬間に一緒にいたいのは誰なのか?

自分の心の奥底からの真実の言葉に耳を傾ける時なのだ、とやっと一馬は自分自身と向き合う覚悟を決めた。



「美鳥。俺についてきてくれるかい?この先たとえ何があっても…ずっと美鳥と一緒にいたい。

俺は…美鳥を俺の嫁さんにしたい」

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青い鳥のいる部屋 53

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       12.恭子



最近になって一馬の様子がどうも今までと微妙に違うような気がする。

どこがどう…とは、うまく説明できないけれど、何かが違うのだ。

長年連れ添ってきたせいで、一馬の存在はまるで“空気”のようだ。

いつもそこにいるのが当たり前で、いちいち言葉に出さなくても、何を考えているのかは何となく分かる。


長女の詩織が生まれてから、それまで勤めていた仕事を辞めて、家庭に入った。

詩織と奏恵、ふたりの娘を育てるのに、母親はやはりいつも家にいて、子供たちが寂しくないようにしていてほしい…というのが一馬の考えで、恭子も娘たちが小さいうちは、その通りだと思っていた。

だから、仕事もキッパリ辞めて家庭に入った。

でも子供たちが小学校に上がって高学年にもなると、家でじっとしているのが少しつまらなくなってきた。

最初は小学校のPTAの役員をして、他のお母さんたちと学校のことや学校外のことをワイワイしているだけでも、気晴らしにもなるかと思っていたが、それだけでは何か物足りない。


もともと恭子は性格が姉御肌というか、さばけてるというか、どんどん自分で決めてどんどん進めていきたいタイプなので、一馬に「ああしろこうしろ」と言われるのはイヤなのだ。

もっとも一馬も長い付き合いだから、恭子の性格はよく分かっていて、めったにそんなことは言ってこない。

ただ、恭子が猪突猛進して脱線しそうになると、さりげなく軌道修正をしているのが、助かる反面少しばかり癪にさわる。


一馬とは高校生の頃から、何となく付き合いだして、周りがみんなバタバタと結婚していくなか、そろそろ結婚しようか?という感じで気がついたら結婚していた。

ドラマみたいにロマンチックなプロポーズもなければ、新婚旅行もその当時の流行りのハワイだった。

別にそれが悪いとも寂しいとも思わない。

ごくごく普通の二人が普通の流れで結婚したのだから、まぁ普通なんだろう。


高校生の付き合い始めた頃から、一馬が詞を作ったりギターを弾いたりしているのは知っている。

確か付き合いだしてすぐに、ラブレターに詩を書いたものを贈られたことがあった。

でもその頃から恭子は、そういった情感に訴えるようなものはどちらかというと苦手で、理路整然としたものの考え方や行動の方が性にあっていたから、せっかくもらってもあんまり喜ばなかった。

逆に一馬はいつまでも『夢の女の子』の存在を信じているようなところがあるくらいだから、恭子と一馬の性格は180度向いている方向が違うようなものだ。


それでも、一緒にいると一馬はよくいろんなことに気がついてくれるし、恭子の意見も頭ごなしにケチをつけたりすることはないから、恭子にしてみれば楽な関係の相手でもある。

『亭主元気で留守がいい』なんてことわざ(!?)もあるくらいだから、一馬がギターのサークルやら会社の勉強会やら文章の講座やらで、休みの日に出掛けてくれるのは、恭子にしてみたら面倒がなくてラクである。


恭子自身も詩織が小学生の頃からの学校の役員の仕事や、その頃から今まで続いているママさんバレーの仲間との付き合い、近所の奥さんたちとの付き合いなど…けっこう忙しい。

奏恵が中学生になってからは、友達のお店~パン屋で週に2・3回昼間の三時間くらいだけパートで働き始めたから、尚更だ。

一馬の給料だけでやっていけないわけではないけれど、いざという時に自分もちょっとでも働いていれば、何かの足しになるし…と思いながら、今はちゃっかりと自分の小遣いにしてしまっている。



「今度の土曜日は出掛けるんだったっけ?」

「あぁ、土曜日は毎週文章の講座があるって言っただろう?」

「そうだっけ?夜は?うちでご飯食べるの?」

「終わったあと、加藤とカラオケに行くから帰るの遅いよ。飯も食ってきちゃうから要らない」

「そう。土曜日はパパは食事なしっと」

確認しながら冷蔵庫に貼ってあるカレンダーに印をつける。

ふと、カレンダーの他の日にちにも目をやると、今月に入ってから、一馬が家で食事をしていない日が週に1~2度あることに気がついた。


「最近はパパ、よくお友達と会ってるわよね~」

「そうか?」

「うん…まぁ別にいいけど」

そういえば、最近は家にいてもあまり一馬と話すことがない。

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青い鳥のいる部屋 54

「奏恵、そんなところで漫画なんか読んでないで宿題はやったの?」

食事のあと、いつまでもリビングで漫画に読みふけっている奏恵に、つい恭子の声もキツクなる。

「今日は宿題ないも~ん」

「宿題がなくたって、予習とか復習とかやることはいくらでもあるでしょう?」

「う~ん」

返事はしたものの、なかなか動こうとしない。

「奏恵!聞いてるの?あんたはいつも返事ばっかりで!ちょっとはお姉ちゃんを見習いなさい!」

つい詩織と比べるようなことを言ってしまう。

「はぁ~い」

読みかけの漫画を手に、自分の部屋に戻ろうとしたので

「ちょっと!漫画持って部屋に行ったら、また部屋で読むんでしょう?まったく何回も同じもの読み返してどこが面白いのよ?」

「まぁまぁ、ママもあんまりカナちゃんを叱らないで」

詩織が奏恵を庇うようにいうが、とうの奏恵はマイペースなので、あまり堪えているようには見えない。

「じゃあ、ここで勉強してもいい?」

「こんなとこでやって頭に入るの?」

「だって一人でやってると、わかんないとこで進まなくなっちゃうから…」

そういうと奏恵はいったん自分の部屋に戻って、勉強道具を持ってリビングに戻ってきた。

「パパ、ここ教えて」


奏恵はどちらかというとお父さんっこで、恭子より一馬と話したりするほうが気が楽なようだ。

性格も詩織は恭子に似て、理論的でどんどん自分で考えて物事を進めていくが、奏恵はマイペースというか…

自分でよく考えて納得してからでないと動かない。

その分、人の話もよく聴くし、自分で決めたことは最後までキチンとやり通すのだけど、なにぶんスロースターターなのでエンジンがかかるのが遅い。

それでいつも恭子に「早くしなさい」と怒られてばかりだ。

「何?英語かぁ。お父さんよりお母さんに教えてもらえよ。英語はお母さんの方が得意だったからね」

「うん。ママ教えて」

「どこがわかんないの?…なぁに?こんなことわかんないの?いったい今まで何勉強してきたのよ?」

「全然わかんない。最初から教えて」

「まったく…全然わかんないなんて信じらんない」

「おぃおぃ。そんな言い方はないだろ?わかるように教えてやってくれよ」

「じゃあ、パパが教えてあげなさいよ。奏恵はパパに教えてもらおうとしてたんだから」

恭子にしてみれば学校だけでなく、塾にも通って勉強しているのに『わからない』なんて信じられない話だ。

それは理解しようとしていないから…で、ちゃんと勉強していれば、わからないはずはないと思う。

『わからない』とすぐに投げ出してしまうのは『わかろう』という努力をしていないんだと思う。

恭子はそういう考えだが、一馬はそうは思わない。

実際、恭子がいうような子も世の中にはいるだろう。

でも、奏恵は違う。

奏恵なりにちゃんと努力はしているのだ。

そのうえで『わからない』というのは、今は理解する途中でキチンと自分の頭におさまれば『わかった』こととして忘れることもない。

恭子は奏恵のそういうところを理解してあげるべきだと思う。

「いいょ。私が最初から教えてあげる」

ふたりの会話を聞いていた詩織が、そう言うと奏恵の隣りに座った。

「奏恵も詩織くらい飲み込みがいいといいのにね」

「恭子!」

つい思ったことをそのまま口に出してしまった恭子を一馬が軽く睨みつける。

「いいょ、パパ。私、気にしてないから」

「ちょっとは気にしてちょうだいよ」

「ママ!」

「はいはい。みんなママが悪いのよね」

詩織にまでたしなめられて、恭子はキッチンに行ってしまった。

「大丈夫だょ、お姉ちゃん。奏恵もお姉ちゃんみたいになりたいと思うもん。ママが奏恵のこと心配して言ってくれてるって、わかってるから」

「奏恵には奏恵の、詩織には詩織の、いいところがあるんだからな」

「うん。パパ、お姉ちゃんありがと」

そう言うと、もうすっかり勉強に没頭してしまった。


傷ついていないはずはないと思う。

奏恵は奏恵なりに、恭子の言葉を“いい意味”に解釈して自分の中にしまった。

奏恵の幼いながらの、自分を傷つけないための知恵なのだろう。

こんな日常の会話の中で、一馬の心が少しずつ恭子から離れていってしまったことを、恭子は知らない。

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青い鳥のいる部屋 55

そういえば、最近は家族で休みの日に出かけることも、めったになくなっている。

それぞれに友達や知り合いとの付き合いがあり、休みの予定が合わなくなってきているのだから、仕方がないのかもしれない。

今年はゴールデンウイークにも、家族揃って出かけることはなかった。

一日くらいみんなで外で食事をしたり、ショッピングをしたりする日があってもよかったのに。


明日は久しぶりに木村さんと田辺さんと一緒に、最近新しく近所に出来た大型のショッピングモールに買い物に出掛ける予定だ。

ランチバイキングが評判の美味しいレストランもあるらしいので、一日ゆっくり買い物をして美味しい物をいっぱい食べて、日頃の愚痴を言い合って楽しんでこようと思う。

ただ、休みで家にいると思っていた一馬が、また文章の講座と友達とのカラオケで遅くなるという。

子供たちのことが、少し気がかりだった。


「明日の予定って変えられないの?文章の講座を休むか、カラオケを他の日にしてもらうか」

「今日の明日じゃ無理だよ」

「私も出掛けるから子供たちだけになっちゃうのよ。心配じゃないの?」

「普段だって、俺が仕事にいってる間にお前が学校の用事とかで留守にすることもあるだろう?」

「そうだけど…いつもは1~2時間だもの。明日は一日中よ」

「お前だって予定変えられないんだろう?大丈夫だよ。ふたりともしっかりしてるし、もう小学生じゃないんだから」


一馬は呑気に言っているけれど、ふたりともまだまだ子供だ。

でも、自分も他の日に変えるつもりはないので、ふたりには留守番していてもらうしかない。


「ふたりとも大丈夫?」

「大丈夫だょ。そんなに心配しないでも」

「うん。大丈夫だょ」

「そぉ?じゃあ、火の元には気をつけてね!」

「うん」


お昼は自分たちで、マックかケンタで済ませるというので、昼食代だけ詩織に渡しておいた。


翌日の土曜日、迎えにきてくれた田辺さんの車で目的地のショッピングモールに向かった。

一時間くらい、ショップを冷やかした後、楽しみにしていたランチバイキングのレストランに入った。

どのお料理も美味しく、目移りしてしまう。

人に作ってもらう食事はどうしてこんなに美味しいんだろう。


ひとしきり食べる物を食べて、くだらない話題で盛り上がったところで、木村さんがいつも見ている昼の帯ドラマの話を始めた。

この春からスタートしたドラマは、いかにも“昼メロ”というドロドロの不倫もので「こんなの絶対ありえない~」と言いながら3人してハマってしまった。

現実離れしたストーリー展開にドキドキハラハラしながら、主演の俳優がちょっといいオトコだものだから盛り上がっている。

「先週の放送見た?」

「見た見た!」

「とうとう奥さんより和樹は美由紀を選んだのよね~」

「でも、わかるわぁ~、だってあの奥さんって全然和樹のことわかってないんだもの」

「そうそう、あれじゃ和樹もいつも自分のこと理解してくれてる美由紀に惹かれるの無理ないわよね」

木村さんと恭子がふたりで盛り上がっていると、田辺さんが聞いてきた。

「ねぇねぇ。もし美由紀みたいに和樹みたいな男性とめぐり逢っちゃったら…どうする?」

「いやぁ~、ないない。そんなドラマみたいなこと」

「だいいち、和樹みたいな優しくて気が利いて…なんて、そんな男性が現実にいるわけないじゃない?」

「そうよねぇ」

「でも、川相さんのご主人ってなかなか素敵じゃない?いつも挨拶するとき、うちのダンナも川相さんのご主人くらいセンスがいいといいのにって思うわぁ」

田辺さんがマジメな顔をして言うものだから、恭子は思わず吹き出してしまった。

「うちのダンナが素敵ですって!?着るものなんていつも黒ずくめで変わり映えしないのに」

「あら、でもそれが似合ってるんじゃない?それに挨拶するといつも感じよく返してくれるし…」

「川相さんのご主人っておいくつだったかしら?」

「私たちと同い年よ」

「まぁ~!若く見えるわよね!」

「うん。失礼だけど川相さんのほうが姉さん女房かと思ってたわ」

「あら!?木村さんたら失礼ねぇ」

「女性にモテそうよね。優しそうだし。浮気とか…心配じゃない?」

「ないない。あんなオジサン。好きだっていう物好きいないでしょう」

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青い鳥のいる部屋 56 

その日の夜、一馬が帰ってくるのは遅かった。

というより、あまり遅い時間まで起きていられなくて、いつものように午前0時を過ぎたあたりで寝てしまったから、実際に一馬が何時に帰ってきたのかはよくわからない。

夕方から雨がひどくなってきたので、おさまるまでカラオケの時間を延長したのだ、と言っていた。



トイレットペーパーとお醤油がきれたので、近くのスーパーまで車を出してほしい、と頼むと

「なんだ。昨日、買い物行って買ってこなかったのか?」

と言われた。

「昨日はせっかく新しいショッピングモールに行ったんだから、そんな日用品なんて買ってくるわけないじゃない」

「でも、こないだからもう無くなりそうって言ってなかったっけ?」

確かに2~3日前から無くなりそうだなぁ、とは思っていたのだ。

でも忙しくてそれだけを買いに出掛けるのも面倒だし、無くなる前に補充すればいいと思っていた。

「パパってそういうとこ、変に細かいのよねぇ」

「別に普通だろう?で、すぐに出掛けられるのか?」

「あっ、ちょっと待って。郵便物も出しに行くから」

なんだかんだ言っても、ちゃんと車は出してくれる。

確かによその家の旦那さん連中に比べたら、一馬は理解のある旦那なんだろう。



昨日の木村さんや田辺さんとの話が頭によみがえる。

寝室のドレッサーから郵便物をとってリビングに戻ると、一馬だけでなく詩織と奏恵も出掛ける準備をして待っていた。

「なぁに?あんたたちも行くの?」

「買いたい本があるんだ」

「私も」

「また奏恵は漫画を買うんじゃないでしょうね?」

「漫画じゃないよ。今月はもう買ったから。学校の関口先生が、いい本だから読んでみてって言ってた本を探しにいくの」

「あら、そうなの?でも自分のおこずかいで買いなさいよ」

「うん。あのね、ケンちゃんと由美ちゃんと、前島くんと4人でおこずかい出し合って買うんだ。で、順番に読もうねって言ってるの」


奏恵なりの自分の少ないおこずかいを有効に使う方法なのだろう。


一馬の車に親子して揃って乗るのは久しぶりだ。

助手席には奏恵が座り、恭子は詩織と後部座席に並んで座った。

「ママ、昨日行った新しいショッピングモールはどうだった?」

詩織が興味深そうに聞いてくる。

「新しいお店がいっぱい入ってたわよ。お昼のランチバイキングを食べたお店も美味しかったし」

「優香ちゃんのママと千夏ちゃんのママと一緒に行ったんだよね?」

木村さんも田辺さんも詩織が小学生の頃からの同級生の母親である。

とうの娘たちは、別々の高校に進学したことで、今ではあまり一緒に遊ぶこともないようだが、母親達は定期的に1ヶ月に1~2度食事をしたり、ショッピングに行ったり、映画を見に行ったりしている。

「また3人でドラマの話で盛り上がったんじゃない?何ていうドラマだったっけ?」

「『愛される条件』よ。大人の見るドラマだからね」

「不倫のドラマなんでしょ?お昼だから誰も見てないけど、夜だって同じようなドラマあるじゃん」

「夜のより大人向けなのよ。あんたは興味持たなくていいわよ」

そう言ってたしなめるが、詩織は興味津々な感じで、いつの間にか話題がショッピングモールから完全にドラマの話に移っている。

「でもさぁ、不倫っていけないことって分かってるはずなのに、どうしてするんだろうね?ドラマの世界の中だけのことじゃないんでしょ?」

「ドラマみたいにドラマチックな出来事や出逢いがそうそうあるわけがないじゃない」


「そろそろ着くぞ。他にも買わなきゃいけないものがあったら、ちゃんと買っとけよ」

恭子と詩織の会話を黙って聞いていた一馬が、バックミラーの中からちらりと後部座席のふたりを見ながら言った。

「だいたい、実際のサラリーマンのお父さんはパパみたいなんだから、ドラマみたいなことにはならないわよ」

「そうかなぁ。パパ、けっこういい線いってると思うけど。他の同じくらいの年のお父さんたちに比べたら若く見えるし」

「パパ、カッコいいよ」

それまで黙っていた奏恵が言った。

「カナちゃん、パパ大好きだもんね」




「いい加減にくだらない話は止めて降りる支度しなさい」

「パパったら、何ムキになってるの?怪しかったりして」

詩織がからかうような口調で言う。

「ムキになってなんかないよ」

「その言い方がムキになってるよねぇ」

「そうねぇ」



しばらくの沈黙の後に一言

「俺はただ、あんまりそういう話を奏恵に聞かせたくないだけだ」

いつになく不機嫌な一馬に、恭子も詩織も黙り込んでしまった。

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青い鳥のいる部屋 57

. 13.それぞれの想い




一馬と美鳥、ふたりが初めて横浜でデートをして、密かに付き合い始めてから4ヶ月がたとうとしていた。

季節はすでに春から夏へと変わっていった。



「最近、いいことあった?」

一緒に昼食を食べていたパートの佐々木さんに聞かれて、美鳥はドキッとしてお箸を持つ手が止まってしまった。

「なんで?」

「だって山咲さん、最近いつも楽しそうだもの。いいことあったんでしょ?」

「えっ、そうかしら?」

「隠したってダメよ!顔に出てるわよ~」

思わず両手で頬を押さえてしまう。

「えっと…もうすぐ夏休みだからじゃない?」

「あらあら、隠さなくたっていいのに。誰かいい人が出来たんじゃない?」

「そんなんじゃないわ」

美鳥が平静を装って食事を続けようとするのを見て、佐々木さんは嬉しそうに笑う。

「山咲さんのそういうとこ、可愛くって好きよ」

そんなに顔に出てわかりやすいのかしら?と思いつつ、あくまでも『そんなことない』という態度をとろうとする。

「まぁまぁ、じゃあそういうことにしとこうかしらね。でも山咲さん、可愛いし優しいし…性格いいから、

素敵な彼氏がいるのが当然だと思うけど」

「そんな…私なんて…もうおばさんだし、気はきかないしダメよ」

「そういう謙虚なところが山咲さんらしいんだけどね。もっと自信を持ったらいいのに…」

そう言われても簡単には自信なんて持てそうにない。

けれど、今は美鳥には一馬がいてくれる。

誰にも内緒だけれど、ふたりだけの秘密だけれど…。



そんな美鳥を我が子のことのように、佐々木さんは思っているのだ。

佐々木さんの本当の娘さんは、美鳥よりも15歳くらいは年下の若くて可愛らしい女性なのだけれど、

佐々木さんには美鳥のほうが、むしろ心配でたまらない。

このおっとりした娘は、いつも自分のことより他人のことばかりを考えていて、自分のことには臆病でさえある。

典型的な今時の娘な自分の娘とは違うのだ。

しっかりしているようで傷つきやすい、美鳥の性格がわかるから、美鳥が前の旦那さんと別れたばかりのころは、心が壊れてしまわないかととても心配だった。


それが昨年の暮れあたりから、少しずつだけれど明るくなってきたな、と感じていた。

特にこの春あたりからは、顔つきまで違って見える。

恋をしている女性の顔だ。


恋をすると女性は綺麗になるというけれど、それは本当だな、と佐々木さんは改めて実感した。

ただそのことに本人の美鳥は気づいていないようである。



そういえば…


「そういえば、営業の阿部くんが山咲さんのこと気にしてたわよ」

「えっ、私なにかしでかしたかしら?」

不安そうに美鳥が、仕事の内容を思い出そうとするのを見て、思わず吹きだしてしまった。

「やぁねぇ、美鳥ちゃんったら。違うわよ。そういう意味じゃないってば!」

可笑しそうに笑う佐々木さんの顔を、美鳥が怪訝そうな表情で見返しているが、まだどこか不安そうだ。

( 本当にこの子はおっとりしてるっていうか…自分のことには鈍いんだから )

まぁ、そこが可愛いところなのだろう。

「そうじゃなくて、山咲さん彼氏いるのかなぁ?って言ってたのよ」

それを聞いて思わず美鳥は

「そんなこと、阿部くんが言うわけないでしょ。佐々木さんの聞き間違いじゃない?」

と言った。

阿部 誠は、最近美鳥の勤める会社に中途入社してきた。

持って生まれた性格なのか、人あたりもよく誰とでもすぐに打ち解けてしまうようで、美鳥にも会うたびに気安い口をきいてくる。

それがイヤミに感じられないのは、彼の持つ明るい雰囲気と誠実な仕事ぶりのせいだろう。

美鳥よりも5才年下の34才だから、ちょうど働き盛り男盛りで独身だ。

美鳥よりいくつも若い会社の女の子たちの間では、なかなか人気もある。

そういえば…先月だったか、一緒に食事に行かないか?と誘われたことがある。

そのときは体調も今ひとつだったし、職場の何人かで飲みに行くのだと思ったから、あまり深く考えずに断ってしまった。


( まさかねぇ… )

きっと佐々木さんの勘違いだろう。

阿部くんも人がいいから、たまにはみんなで一緒に食事でも…と誘ってくれたのだろうし。

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